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【超短編】カタツムリという人生

私の腕を一匹のカタツムリが這っている。

どうしたものか。

半月ぶりの休みということもあり、
私は、溜まっていた家事を全て片付けるつもりでいた。

まずは、と、ゴミを出した矢先、
ドアノブにいた「彼」にまんまと捕まってしまった。

真夏といえど、私の住む場所は自然が身近にあることもあり、早朝は過ごしやすい。

私は久しぶりに心地よい風をゆっくりと感じていた。

小さい頃は雨の降る日にしか見かけなかったカタツムリは、私にとってはとても「レア」な生き物で、時間の許す限り眺めていた。

私の育った家は、いわゆる”熱心”な家庭で、私の人生は父の座るリビングで母の買ってきた山積みの教材を減らすために存在していた。

周りの友達が川で水遊びをする話も、その友達の家にいた犬がとても人懐っこかったという話も私は聞いていたが、私にとってはシンデレラで縁のない話だった。

そんな中でも、しとしとと雨の降る帰り道に見つけるカタツムリは私のヒーローだった。

彼らの振舞いは、誰が誰とどうだとか、この時間をどう過ごすことが如何に有益か、だとか、そんな日々私の頭を支配する喧騒とは無縁に見えた。

雨に濡れて深緑のやさしい葉を歩き、これが人生だと、
彼らは魅せてくれていた。

いつだったか、初めて私の”先生”を見かけたときは
何時間も紫陽花の前から全く動かない私に、たくさんの大人が心配をして声をかけていた。

しかし、そのうち、大人たちも”これが私の人生だ”と気づき、
声をかけることもなくなった。

じきにあの紫陽花はなくなって、私も引っ越してしまった。

ヒーローを見かけることもなくなった私は、ゆっくりと彼らを忘れ、
そして大人になっていった。

少し、陽も出始め、じわじわと身体は熱を感じ始めた。
カタツムリはまだ、私の腕をゆったりと散歩している。

最近はどうだろう。

私はほどほどにいい学校を出て、多忙だが、そこそこの会社に就職をした。
大学の頃に出会った恋人と同棲も始めた。

きっと世間から見れば少、充実した人生を送っているのだろう。
特に不満もない。

おそらく人間の生き方キットというものがあるのなら、キットの製作者が満足のするものが出来上がっている。

…でも私はキットの一部ではないはずだった。

おそらくキット製作者にとっての誤算があったのなら、
私が胸いっぱいにカタツムリと紫陽花を抱きしめたあの瞬間だろう。

私は私の人生がわからない。

それでも製作者の誤算があのカタツムリと紫陽花ならば、
その出会いが私の人生なのだ。

靴を履き替え、手ごろな容器の中に適当な葉物の野菜の切れ端を入れ、
腕を這うヒーローを据えた。

まだ、布団で夢を見る同居人に一日戻らないことを一方的に告げ、
最低限の装備を整えて家を飛び出した。

隣町に紫陽花の有名な場所があったはず。
まだ間に合うだろうか。

足早に駅へと向かう。

今私の人生は始まったのである。


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