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【南大沢土木構造物めぐり】No.40 大栗川に架かる橋を見て歩く(その2 前田橋~御殿橋)

大栗川は、鑓水地区を源流として、由木街道、野猿街道沿いを流れ、多摩市の関戸(聖蹟桜ヶ丘駅付近)の下流で多摩川に合流する河川です。多摩ニュータウンエリアの橋をめぐる探索、前回は京王堀之内駅近くにある「大栗川橋」から「大田平橋」までを歩きました。今回は、さらに上流、絹の道として明治時代に栄えた「御殿橋」までをたどりたいと思います。前回の探索は以下のリンクを参照ください。

上柚木地区の大栗川は、過去の蛇行跡が多く残っており、容易にその跡をたどることができます。蛇行跡の旧河道は、過去の探索でたどっています。過去は川幅も狭く、河道も蛇行しており、大雨が降ると容易に河道は自由奔放に流路を変えていたことでしょう。また、宅地化の進展により、丘陵地が宅地に変わると、土が露出している箇所が減少し、雨が降るとすぐに河川まで水が排水され、谷底の低地にも宅地化が進むため、洪水による浸水リスクが飛躍的に高まってしまいます。ニュータウンの開発と、河川の改良は切っても切れない関係であり、開発より少し先だって河川改良が進んでいった様子がわかります。

【地図で見るこの地区の変遷】
この地区の変遷を「今昔マップ」でたどってみましょう。左上の戦後直後(1944~1954年)は、まだ開発前のこの地区。由木街道の前身になる道と、大栗川は大きく蛇行しています。右上(1975~1978年)には、由木街道の旧道が直線状に通じており、大栗川も一部直線化されています。左下(1983~1987年)には、上柚木地区のすぐ下流まで河川改修の波が訪れており、現在の地理院地図では、由木街道の新しい道が出来上がっています。つまりこの地区では道路や河川の改修は少なくとも2度にわたって行われたことになっており、いかに治水が重要だったかということを物語っていると思います。

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では、今の大栗川に架かる橋を下流側から順にたどっていきましょう。

【①上柚木公園につながる橋】 ~前田橋~
まずは、上柚木地区に架かる、前田橋です。前の森林は、上柚木公園で、丘の上に上がるとソフトボールグラウンドや多目的広場がある場所です。前田橋は、そういう場所に架かっています。【1981年3月完成】

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【②不思議な名前の橋】 ~〆切橋~
橋の名前、わかりやすい名前もあれば、あまりわからないものもあります。「〆切橋」という名前。ここは農業用水のための〆切(水門)のようなものでもあったのでしょうか。【1982年3月 東京都建造 宮本建設施工】

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【③上柚木の古い町が正面に見える橋】~池の尻橋~
ここは、「池の尻」という集落があった右岸(南側)から坂の上にある上柚木の会館に向けて架かっている橋です。丘の上の会館につながる階段が見えます。旧河道はこのあたりはもっと北側の会館につながる階段の真下付近を流れていたようです。何度か河川改修があったようです。
【1982年3月 加藤工務店施工】

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【④みんな仲良く】~協力橋~
次の橋は、「協力橋」という名前。その名もずばり、地元の方がみんなで力を合わせて架けた橋なのでしょうか。この橋は、今も上柚木公園に向かう丘の上を目指す車道に架かる橋なので、ほかの橋より道路幅が広いです。
【1982年3月 堤組】

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【⑤日向と日影を結ぶ橋】~日影橋~
次の橋は、「日向」と「日影」を結ぶ橋です。大栗川の北側の斜面は、南に下がった斜面なので、日当たりが良いので「日向」、逆に南側の斜面は日当たりが悪く「日影」という地名が付いています。同じような地名、この南大沢周辺にも松木地区など、多く見られます。その両方を結ぶ橋だと言えるでしょう。【1983年3月 日本国土・東京建設JV】

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【⑥南大沢駅へのメインルートに架かる橋】~柏原橋~
次の橋は、柏原橋。由木街道から南大沢駅に向かうメインルート、丘を大きく切土して作った道路に架かる橋です。上柚木公園も、この橋の手前が西端。こう考えると非常に東西に広い公園と言えるでしょう。
【1984年3月完成】

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【⑦古い尾根道の流れを踏襲する橋】~境橋~
この橋は、今は右岸側の宅地に向かうための橋ですが、昔はここから丘の上を上がって尾根伝いに向かう道に架かる橋だったようです。【1984年3月完成】

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【⑧由木街道と大栗川がダイナミックに交差する】~大型カルバート~
このカルバートは、大栗川に平行する由木街道が右岸から左岸に移動するところにあります。橋というよりは、大栗川が少しの区間だけ暗渠になり、その上を由木街道が斜めに横断すると表現したほうが正しいかもしれません。地上を歩いていても、川の存在を気づかせないような場所になっています。

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【⑨嫁入谷戸に向かう道に架かる橋】~嫁入橋~
この橋は、由木街道と絹の道に向かう道との交差点の近くにある橋です。絹の道が国道16号方面への抜け道になっているため、比較的交通量が多いです。「嫁入谷戸」とは、その絹の道の東隣の谷戸です。道路がつながっていない行き止まりの谷戸なので、静かな佇まいのところです。【1986年10月完成】

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【⑩絹の道に架かる橋、実はそれ以外も‥】~御殿橋~
最後に紹介するのが、御殿橋。ここは、以前紹介した「絹の道」に架かる橋です。橋のことは、下記の記事に詳しく書いたので、詳しく知りたい方は下記のリンクを参照ください。

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橋の高欄に明治時代の道了堂の絵があり、大きく「絹の道」と書いてあり、道標もある、見所満載のこの橋ですが、今回はその下に注目。この橋を境に、広い大栗川が上流側では「プツリと途切れた」ような感じになるのです。なぜかというと、下の写真を見ている限り、右からの流れ(暗渠)と、左からの流れ(これも暗渠)が合流しています。

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もう少しアングルを変えると、真ん中の水路(これは開水路)が合流し、これは少しすべり台のように流下してきます。この開水路が「大栗川」を名乗っているようで、ここで大きな暗渠が2つ合流した大栗川が川幅を広げて登場する、という流れになります。さらに上流の大栗川や、合流する谷戸の状況などは、また改めて探訪してみたいと思います。

【終わりに】
大栗川の上流側を歩きましたが、橋を眺めるだけで古い地名や周りの谷戸のことなどが見えてきます。古い地名や古い河道を知ることは、浸水する危険性の高い土地や、過去に災害を起こした土地などを知る手掛かりにもなりますし、開発前の営みの状況を知ることもできるのではないかと思います。
防災という観点でも、土木構造物を見て歩くことは意味のあることだと思います。


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