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◇八王子さんぽ◇②八王子駅付近の線路沿いを歩く(その1)

八王子駅を起点とした街歩きをしています。前回は、野猿街道とそれに平行する旧・小野路街道を歩きました。古いものが残る街道筋は、新たな発見が多かったです。
(前回の投稿はこちら)

今回は、八王子駅の東南方向を歩いていきます。この地区は、JR中央線、横浜線、八高線に加え、京王線や貨物等の線路や線路跡もあり、鉄道線路や鉄道施設がいろんなところに複雑に絡み合っており、地図を見ないと道に迷ってしまいそうな場所です。今回は、そういう場所を歩いてみたいと思います。

まずは、八王子駅の南東側の地図を見てください。

JR中央・八高・横浜線、京王線・高尾線が輻輳する鉄道密集地

八王子駅の東側で、JR中央線、横浜線、八高線が分かれていきます、八王子駅の南側には昔から機関区があり、貨物ヤードも駅近くにあり、鉄道用地が広がっています。これに加えて、京王線が京王八王子駅に向けて線路を伸ばしていて、南東側の北野駅から西に高尾線が分岐しています。この地区は、まさに鉄道密集地帯というところです。さらにその真ん中を山田川が貫いていて、まっすぐ走れる道路があまりなく、車で最初に通りかかると、狭くて複雑な道路に戸惑ってしまうこともあるエリアです。そういうエリアを歩いて見たいと思います。

八王子駅東側のJRの建物。線路沿いは昔の鉄道施設が多いです。

スタートは、JR八王子駅南口の少し東側から。機関区などのあったエリアなので、鉄道業務施設と接する場所になります。「工」と書かれた国鉄の用地杭が見えています。

階段の向こうに、「指差呼称」と書かれた看板が。
機関区の通用口のようなところに、「金牌記念 昭和12年3月」と書かれた灯篭が。

機関区の通用口のような場所の片隅に、「金牌記念 昭和12年」と書かれた石灯篭を見つけました。安全表彰か勤続表彰のようなものを記念された、もしくはその返礼品のようなものだったのでしょうか。事業所の記念物というのも、なかなか興味深いものです(笑)。

駅の南北を貫くアンダーパス。

少し東に歩くと、JRの中央・八高・横浜線を貫くアンダーパスに差し掛かります。

既に横浜線と中央線・八高線のアンダーパスがわかれています。

横浜線と中央線・八高線が分かれ始める場所で、アンダーパスも距離が長くなる傾向があります。

【横山架道橋 昭和55年11月竣工 設計:東京第二工事局、施工 東鉄工業】

1980年に国鉄により作られたアンダーパスです。地下埋設物が入っていることなどを丁寧に教えてくれている銘板です。

アンダーパスのすぐ近くで、山田川を渡ります。
山田川橋 昭和60年3月完成

南北に縦断する道路が山田川を渡る橋。この探索では、鉄道線路と山田川が主役です。いろんなところに登場し、複雑に交差するので、頭の整理が大変です(笑)。

中央線と横浜線の間の道路を行きます。(Googleさんから拝借)

では、複雑な線路沿い探索のスタート、まずは中央線と横浜線の間のこの道から。(狭い場所が多いので、写真を撮りそびれてしまいました・・)

少し歩くと、横浜線は右のほうに消えていき、中央線の線路沿いを進みます。少し進むと、中央線のこんなアンダーパスが出現します。

レンガ積み橋台の歩行者用架道橋

小さな架道橋ですが、レンガ積みの古い架道橋です。中央線の電車が頻繁に走る、現役架道橋です。

「第二石曽根橋りょう 豊田~八王子間46K670M 径間長2.9m」
街中に現れる、古い鉄道構造物。

いまだにこのレンガ橋台の橋が現役なのに驚かされます。

アンダーパスの北側。この線路は使われていなさそうです。

煉瓦の橋梁の北側には、おそらく使われていない橋などが架かります。

いろんな形式の橋が並びます。手前の橋は鉄道橋ではなさそうです。

その隣は、八高線の橋梁のようです。八高線の橋の名前は、「石曽根橋りょう」です。石曽根橋りょうと第二石曽根橋りょうの間に、もう1本新しい桁が架かっていますが、これは貨物側線につながる橋のようです。一番手前の桁橋は、鉄道橋ではなく、人道橋のようです。

第二石曽根橋りょうのすぐ南に、横浜線が山田川を一跨ぎする橋が。

第二石曽根橋りょうのすぐ南を歩くと、今度は横浜線が山田川を跨ぐ橋がありました。

元子安ガードと言う名前。
【元子安橋りょう 設計:東京第二工事局 施工:東鉄工業 昭和55年竣工】

元子安橋りょうは、1980年に架けられました。山田川の河川改修と、横浜線の複線化がこの時期に行われていたのでしょうか。

線路近くの山田川に架かる橋、名前は何と、「宇」に〇がついた橋。
橋の名前は、「まるうのはし」と呼びます。

山田川に架かる橋の名前がすごかったです。「宇」という漢字に〇がついて、「まるうのはし」と読むそうです。こんな読み方をする橋は珍しいです。

線路沿いの道路に何やら橋の遺構のようなものが。
やはり橋のような気がする。

線路沿いの道路に、何やら橋のようなものが見えます。これは橋でしょうか?

今昔マップで古い地図を見ると、やはり山田川は少し北に蛇行していた。

今昔マップで約100年前の地図と比べてみました。第二石曽根橋りょうの道は、やはりこの地域では格段に古い道のようです。山田川は北に蛇行し、線路沿いを通っていました。橋に見えたものは、河川改修前の山田川の川跡だったのかもしれません。

和田橋。古い地図に出てくる、和田という地名を取っているようです。

もう少し東に進むと、山田川の和田橋を渡ります。ここは、昔の地図では和田と言う地名だったようです。

和田橋のすぐ東には、もう一つの鉄道線路、京王線が出現。

和田橋のすぐ東に、京王線の線路が出現しました。ここは文字通り、中央線と横浜線と京王線の線路に囲まれたデルタ地帯で、その真ん中に山田川が走っているという場所になります。実にややこしい(笑)。

山田川にある、銘板。1981年の河川改修工事によってできたようです。

山田川は、やはり1980年前後に河川改修工事が行われたようです。

デルタ地帯の出口に、「北野9号踏切」

鉄道のデルタ地帯の出口にある、「北野9号踏切」です。

踏切のすぐ北西で、京王線と中央線が立体交差しています。

京王線の踏切を越えて、一旦鉄道デルタ地帯から脱出。京王線と中央線が立体交差している姿が見えます。

踏切の東側には、京王と並行するガードが。

踏切の西には。京王と平行に市街地に向けて伸びる道路が、中央線・八高線と立体交差するガードが見えています。今度は、中央線と八高線が枝分かれし、さらにデルタ地帯が増えそうな感じがしています。今回はここまで。次回、さらにこの付近を探索したいと思います。

【終わりに】
八王子駅の南側から東に歩くと、中央線・横浜線・京王線に囲まれた三角地帯のような場所がありました。そこには、古くからのレンガ積み橋台の架道橋や、山田川の河川改修の歴史などが詰まっていそうで、とても興味深い探索でした。次回は、さらにその東側を歩いていきたいと思います。

(次回につづく)


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