【旅の記憶】2019年11月 九州の思い出(第5日:小値賀島から野崎島に渡る)
(前日の旅は、長崎・軍艦島を巡り、佐世保に移動し、小値賀島まで到着する旅でした。その模様はこちら。)
長崎県、五島列島。九州を旅する際に訪れてみたかった場所ですが、特に小値賀島とそこから渡航する野崎島は、是非とも行ってみたい場所でした。野崎島は、昔は3つの集落があったものの、今はその集落も廃村となってしまい、今は野崎島の宿泊施設・自然学塾村があるだけで、ある意味無人島に近い状態になっています。廃村の中にある、世界遺産・旧野首教会。そういうなかなか行けない秘境のような場所が、この野崎島です。
野崎島には、この町営渡船「はまゆう」で渡ります。野崎島に立ち寄る便は、朝に小値賀から野崎に行き、夕方に野崎から小値賀に戻る1便ずつだけ。野崎島に渡るのは、基本的に予約が必要です。
渡船から見る島の風景。なかなか見慣れない光景です。
野崎島の野崎集落の跡地。廃屋がそのまま残っています。この島、あまり草木が生えていない感じがしますが、それはどうしてかというと・・
写真に写っている、鹿たちがたくさん住んでいるからです。鹿は、人が住まなくなって数が増えたようですが、最近は草木が枯渇したので、個体が減少気味だとか。
集落の中は、静かな村の佇まいですが、廃屋ばかりです。
これは神社の跡地。
学校の跡地。立派な建物に見えますが、これも廃墟です。
野崎から野首の集落跡に向かう緩やかな峠道。美しい山が見えています。
旧野首集落に来ました。世界遺産の旧・野首教会の建物が見えてきました。この集落内に島の宿泊施設があるので、ちゃんと今も電気は通っています。
旧野首集落の跡地と、教会。美しすぎる風景です。
世界遺産に指定されている教会。ここの潜伏キリシタンは、江戸時代の迫害に耐えて教えを守り続けていました。きびなご漁で得た利益を出し合って村の人たちが建てた立派な教会です。
背後から見ると、どこか和風な感じもする教会です。建物の中に入ることができましたが、中は教会につき撮影禁止でした。ステンドグラスがあり、素敵な佇まいの教会でした。この建物は、九州でたくさん教会建築を手がけた鉄川与助さんの作品です。
旧野首集落から、少し歩いて集落の外れに行くと、なぜか近代的な構造物が出現します。廃墟だらけの島に、何があるのでしょうか。
現れたのは、なぜか、ダムでした。このダム、現役なのか、何のためにあるのかが理解できませんでした。
その答えは、県営畑地帯総合整備事業 野崎ダム ということで、何とこのダムから対岸に見えている小値賀島まで海底トンネルがあり、野崎で貯めた水が小値賀島の灌漑用水として使われている、ということでした。野崎島のほうが、小値賀島よりも集水面積が大きく、たくさん水を貯めることができるためのようです。
ダムカード、ゲット(笑)。
この島でしか手に入らない、レアなものと言えると思います。
再び旧・野崎の集落へ。集落の中に、立派な建物があります。ここは、野崎島にある、沖ノ神島神社の神官の家の跡地。今は小値賀町が管理していて、この建物はきちんと電気や水道も通っていて、きれいなトイレなどもあります。無人島なのに、何だかすごくありがたい感じがします。
神官屋敷の跡は、非常に奇麗な建物です。
この付近は、火口跡だそうです。赤っぽい土が目立つのが、火山性堆積物が降り積もっているからだとか。やはり鹿が食べてしまって不毛の地になっています。
少し小高い山の中腹から、野崎集落跡を見ます。棚田のようなものがあるようにも見え、人が暮らしていたというと何となく納得できます。
どこを見ても草原が続いています。ただ、墓地があったり家の跡があったりで、昔の人の営みを感じることができます。
再び船で小値賀島に戻ります。野崎島、よく見るともう一つの集落跡に向かう山道がくっきり残っています。
再び小値賀の街へ。たくさん人が住んでいる集落に、何だかほっとした気になりました。
神社の鳥居も、年代を感じるのと、地域性を感じるような気がします。
小値賀の歴史民俗資料館へ。小値賀島は、遣唐使の寄港する港であり、捕鯨でにぎわったということでした。
ここは、昔船が横付けできる岸壁だったとか。奥の家は埋め立て地に建っています。
煉瓦と石積みでできた岸壁の跡。
小値賀の港町。穏やかな夕べを迎えています。
2日連続で民宿の夕食。うまいんだなこれが(笑)。
【終わりに】
人の住んでいない野崎島への旅。一人旅で行くと、遭難しないか?時間を持て余すのでは?と不安な気持ちになりましたが、島の中にもいろいろと設備が整った場所もあり、美しい風景が随所にあり、とても印象深い探索になりました。小値賀の夕方の散歩も楽しいひと時でした。
次の日は、小値賀島から上五島に渡り、五島列島の別な顔を見ることになります。
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