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★大山街道(柏尾道)を歩く①序:門沢橋駅から歩く

「大山街道を歩きましょう!」

そんなお誘いを受けました。お誘いを受けたお相手は、私の住んでいる南大沢で知り合い、私の働く西新宿で耳鼻科を開業されていて、先日新宿を一緒に歩いた大貫さんです。(下記のリンクは、その時のお散歩の様子。私のレポートと大貫さんのレポートで、同じ街歩きでも視点がずいぶん違うことが面白かったです(笑)。

その大貫さん、ご自身の出身地である、神奈川県厚木市や、母校のある神奈川県伊勢原市を通り、大山阿夫利神社に通じる、江戸時代の「大山詣で」のために栄えた「大山道(大山街道)」が、いくつものルートで残っていて、それを歩く街道歩きの本を見つけて来られて、是非このルートを歩きたいと日々歩く活動を進められています。その活動に一日ゲストとして随行して、一緒に大山街道を歩くというのが、今回の街歩きの目的です。

私自身も、そのお話を聞いて、大山には過去に20年くらい前に1回訪れたきりでしたので、これは一度下見に行かないと、と考え、一度大山阿夫利神社に行ったのが、この街歩きになります。

大山に行くと、江戸時代以来、「大山講」と呼ばれる、集団で大山を詣でる職種別参拝サークルのようなものが多数組織されていて、その人たちが歩いて大山を詣でるという文化が根付いていたことを知ります。その道が、どこからどのようにつながり、今どうなっているかを歩いてみるのが、今回の街歩き、ということになります。

■大山道とは?

大山道とは、上述した通り、大山に通じるいくつかの街道のことを指します。やはり何と言っても、江戸から大山に通じる道が、いくつか通じていました。いくつか主要な街道としては、
 ①矢倉沢往還と呼ばれる、「青山道」(今の国道246号)
 ②戸塚あたりから東海道と分岐する、「柏尾道」
 ③藤沢あたりから東海道と分岐する、「田村道」
などがあります。今回は、この中の②の「柏尾道大山街道」を歩きます。

大山街道って、こんな感じ(Wikipediaさんより引用)

■柏尾道大山街道とは?
柏尾(かしお)道大山街道とは、戸塚の近くの柏尾と言う場所で東海道と分かれ、柏尾川の支流の阿久和川沿いを通り、相鉄いずみ野線のいずみ中央駅、小田急江ノ島線の長後駅周辺を通過し、相模線の門沢橋駅付近を通り、相模川を越えて最近開通した新東名高速道路の南側を平行して進む形で大山を目指すようなルートの街道です。大貫さんは、柏尾から完歩を目指し、地道に歩きながらその記録をまとめられています。なかなかすごい!

さて、前置きがとても長くなりましたが(笑)、今回のご一緒する、相模線の門沢橋駅からの探索レポートを始めたいと思います。

■相模線 門沢橋駅からスタート

時は5月5日のこどもの日。神奈川県海老名市のJR相模線門沢橋駅から探索をスタートです。まさか一緒に歩こうと言われないと、絶対に降りない自信があるマイナーな駅。そこに大山道が通っていたということも、知らないことだらけで、そういう状況で歩くのは、とても楽しいです(笑)。

相模線 門沢橋駅からスタート。単線で1線しかホームが無いシンプルな駅。
待っている人たちは、海老名方面に行く皆さんです。

ちなみに、ご紹介が遅れました(笑)。今回の街歩きのバイブルは、この本。「キャー! 大山街道」です。ちょっと名前は奇抜なネーミングをしている感じがありますが(笑)、昔の大山街道を古い地形図から再現し、今歩くならこのルートを歩けばよいと教えてくれる、街歩きする人にはバイブルのようなとても素晴らしい本です。この本を片手に門沢橋駅からスタートです。

駅のすぐ南側に陸橋が。大山街道はもう少し南側の踏切からがスタート。
海老名市のマンホール。大山街道を歩いても、何故か土木歩きの癖が(笑)。
海老名市は、相模の国の国分寺があったところ。
しばらく線路沿いに南下すると、水路に橋が架かっています。
この橋、「門沢橋」なのですね。
隣接する相模線の桁橋。なぜかバラストが敷かれています。
軟弱地盤+カーブ上なのでバラスト軌道にしたのでしょうか?
あ、やはり土木街歩きの要素が出てしまっている・・(笑)。

門沢橋駅から、起点の大山街道の踏切に向かう途中で、もうすでに土木街歩きモード全開です(笑)。

■いよいよ、大山街道へ。

そして、大山街道の踏切に差し掛かりました。

この踏切が、大山街道です。
「南門沢第二踏切道」という名前の踏切。
大貫さんとも、「大山街道踏切」とか、名前が付いていないか期待したのですが・・。

大山街道踏切などという名前が付いているかと思いましたが、南門沢第二踏切と言う名前でした。ここは昔、「相模鉄道」が開通させた線路を戦時中に国営化した区間なので、ひょっとしたら私鉄が付けるような踏切の名前になったのでしょうかね??そんな妄想を持ちつつ、歩き続けます。

先ほどの水路を、大山街道が渡る橋です。
その名も、大橋。やはり旧街道の風格漂う橋なのですね。
大橋を渡ったところにある、正覚寺というお寺に寄り道。
「左手に 蓮の花もつ 観世音」 海老名かるたの読み札だそうです(笑)。

海老名市には、海老名郷土かるたというカルタが普及しているとか。こんな遊びが子供たちに普及していれば、郷土愛も深まるというものなのでしょうね。

海老名郷土かるたの「ひ」の読み札(海老名市HPより)
同じ境内に、古い「門澤橋」の親柱が。
今昔マップで見る、門沢橋付近。お寺の近くの道路沿いにも水路の跡が。
門沢橋の親柱は、ここに架かっていた橋のことなのでしょうか?
古い地図が正しいと、この道の下を流れている水路と交わる部分が「門澤橋」だった?

正覚寺で旧・門澤橋の親柱を見つけましたが、道路拡幅で暗渠になった水路に架かる橋の親柱が、隣接するお寺の境内に移動したのでしょうか?謎が残りますが、こういう探索をしながら街道を歩きます。

村社 渋谷神社 という神社。
神社なのに、梵鐘があります。
民家の間にも、さりげなく古そうな祠が。

さすがに歴史の道・大山道だけあって、とても古い寺社仏閣が多く残ります。「キャー!大山街道」を見ながら歩くと、その由緒なども知ることができ、とても勉強になります。普段はあまりガイドブックも地図も持たずに歩いている私ですが、こういう楽しみ方もあるのか、と感銘を受けました。

最近ハマっている、電柱のNTTの支線名探し。ここは順当に、「門沢橋支線」でした(笑)。
大山道は、いよいよ相模川にぶつかります。背後には、
さがみ縦貫道(圏央道)が見えます。その直前に祠が。。
何だか古くから大切にされていそうな祠です。道路拡幅後も残った感じでしょうか。
相模川は昔は、「戸田の渡し」で渡っていました。
大山道、と書かれた石仏。
安政2年にできた石仏のようです。
相模川までやって来ました。昔はここから渡船で厚木側を目指しました。
上に通るのは、圏央道です。
新東名のJCTである、「海老名南JCT」の分岐点を示す標示がありました。
新東名のすぐそばに旧街道が通ります。
少し北にある、戸沢橋。これを渡り、厚木市に向かいます。
背景に見える山が、目指す大山になります。
戸沢橋を渡れば、厚木市です。
戸田の渡しを意識した親柱のようです。
ここにも説明文が付いていました。
【神奈川県(1967) 延長526m、幅員8m 上部工:日本鋼管、下部工:西松建設】
橋を渡ると、厚木市。この日は大山がとてもきれいでした。
背後に平行する新東名も見えました。

今回はここまで。次回は厚木市内を歩いた記録をご紹介します。
観光ガイドには一切掲載されず、かなりマイナーでマニアックな街歩きですが、だからこそとても楽しいものがありました。次回もお楽しみに!

■終わりに
誘われて歩き始めた大山街道の街歩き。最近街道歩きが密かなブームと聞いていて、そのブームの背景には、街道歩きを指南する名著の存在が大きいということを知りました。それ以前に、街道沿いに古いものが残り、それを見て歩き、知らない郷土を知る楽しみと言うものがあれば、どこの町に行っても、楽しい街歩きができること間違いなしだと思います(笑)。

次回は、厚木市内を歩きますが、引き続きディープな街道歩きを楽しんでいますので、お楽しみに!
(続きはこちら)


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