★都心プチ散歩★南高橋・八丁堀周辺を歩く
今住んでいるのが多摩ニュータウンで、職場が新宿なので、山手線の右側、東京駅付近などはあまり訪れたことが無いスポットです。今回は、八丁堀駅付近を少し探索しましたので、その模様をお伝えしようと思います。
■まずは、探索地点の地図から
左は、明治迅速測図の明治42年頃の八丁堀周辺です。亀島川の河口部に「高橋」が架かっています。海側は「石川島」「佃島」があります。昔は本当に島だったのですね。亀島川からもう一つ分岐する川が流れていました。この川が、「桜川」、別名が今回探索する範囲の主役の地名の由来となった、「八丁堀」です。隅田川の下流部は、ほとんど橋が無く、一番下流が永代橋しかなかった時代です。
もう1枚航空写真と地図を確認しましょう。左は戦後すぐの航空写真、右は東京五輪直後の地図です。縦横無尽にあった水路が、首都高速道路に置き換わったりして、水路の広がりが小さくなっていることがわかります。
■それでは、散策スタート。
この亀島川、1年前に舟遊びツアーで通りかかりました。船から橋をめぐるのもまた楽しいです。
高橋が昔は亀島川の河口部の橋だったのですが、その後震災復興事業の際に南高橋が加わりました。分岐していそうな部分には、かつて桜川(八丁堀)がありました。その部分は後で訪れるとして、南高橋に行ってみたいと思います。
■昔の両国橋を移築した橋、南高橋
南高橋は、現存する都内最古の鋼橋で、昔の両国橋を流用しているなど、とても貴重な橋なので、土木学会の「選奨土木遺産」に選ばれています。
■「八丁堀」のルーツを歩く
桜川の跡地に向かう途中に、茂みの中に、土管の遺構を発見。
昔の桜川に架かっていた、稲荷橋があった遺構が、さりげなく残されています。
「八丁堀」は、桜川のこの付近の別名で、人工の水路が「八町(約880m)」続いたことから、「八丁堀」になったとのことです。桜川は、ここから首都高の京橋ジャンクション周辺まで続いていたので、それが八町ということでした。(詳細は下記のリンクの説明が詳しいです。)ここは、寛永年間に「江戸湊」として栄えた場所です。地名もこの辺りは、「中央区湊」という地名です。
■終わりに
東京駅の隣、八丁堀駅付近を歩きました。昔の桜川や首都高跡の楓川などの水路跡があり、亀島川の高橋、南高橋などが架かる、とても面白いエリアです。昔の江戸湊の跡であり、居留地跡でもある場所。正直なところ、知らないことが多くあり、とても勉強になった散策でした。
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