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◎リニューアル工事が進む南砂町駅周辺へ◎後編:南砂町駅周辺を歩く

東京メトロ東西線 南砂町駅。東京都江東区にあるこの駅付近は、かつては新田開発がされた田園地帯が戦前に工場地帯に変わり、南側の海が埋め立てられ、洲崎川という運河が作られた、臨海工業地帯でした。

明治末期と、1970年代の南砂町駅周辺。
田園地帯が工業地帯になり、住宅と混在し始めている様子です。

そんな街に作られたのが、地下鉄東西線。古くから市街化した駅周辺で、駅を作り、駅から出てすぐに地上に上がり、橋梁で荒川を渡るには、洲崎川の中に駅を作るのが都合よい、ということになり、河底にケーソン工法で駅を作ることになったようです。

メトロアーカイブアルバムより、洲崎川の河底に作られた、南砂町駅の図。

そんな駅が、改良工事で変化しようとしていて、2024年5月には、1回目の線路切換工事が行われ、中野方面行きのホームが新しい線路に切り替わり、改札口も新しい場所に移動しました。

2024年5月の切換工事を説明する東京メトロのページより

前回は、この駅を訪ねるべく、都営新宿線西大島駅から歩き、越中島貨物線沿いにいろんなものを見つけました。(前回の記事はこちら)

今回は、南砂町駅と駅周辺を歩きます。

■南砂町駅を歩く

こちら、西船橋方面行きホーム。
ここはまだ、古い線路と洲崎川の河底に沈設された、ケーソンの躯体。
そして、これは5月に線路切換が終わった、古い中野方面行きホーム。
現在は閉鎖され、次の切換工事の準備が進みます。
そして、こちらは新しい中野方面行きホーム。

最終的には、真ん中を走る現在閉鎖中の、旧中野方面行きホームが中線になる、2面3線の駅に生まれ変わろうとしています。

そして、新たに使用を開始した駅のコンコース。
今までよりは広くなり、改札が一つにまとまりました。
改札前は、採光スペースもあり、明るい感じの駅です。
駅のリニューアルを知らせる看板。
ある意味、大きく駅が変貌した瞬間でした。
駅の地上部分はこんな感じ。
何となく、川跡だと感じられる平らなスペースに駅があります。
まだ、新設躯体が完成し、埋め戻しが進むには
もう少し時間がかかりそうです。
古い駅の躯体が見えています。
都市部の工事で、こんな姿が見られるのは、なかなか貴重かも。

■南砂町といえば・・

そして、これは・・、5月まで使われていた、出入口。

この駅の特徴。地下に降りる階段なのに、何故か7段くらい登ってから降りる構造となっていて、入口には扉がついています。そして、出入口の周囲はさらに何段か階段を降りなければならず・・。

実は、洲崎川よりも低いところにある、出入口。

とにかく、周囲の民家等は、何だかとても低い所にある感覚です。それもそのはず・・。

出入口のすぐ横にある、案内板を見ると・・、
大正6年の高潮が来たとしたら、
あんなに上まで水没する!!
そして、今建っている場所は、平均満潮位よりも低いのです。

ということで、都内でも有数の「ゼロメートル地帯」として知られています。

南砂町駅付近の地理院地図の等高線図。
オレンジ~青色の範囲は、ゼロメートル地帯です。

この地域は、大正時代~戦後すぐにかけて、地下水のくみ上げが顕著で、地盤沈下が著しかった地域。特に南砂周辺は、最も激しい沈下が起きた地域なのです。

東京都の地盤沈下観測結果。最も沈下の激しい、累積約4.5m沈下しているのが、
南砂の計測ポイント、なのです。

https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000065002.pdf

東京都の地盤沈下の最近の計測結果まとめ

■荒川に向けて歩く

さて、もう少し東へ向かい、荒川放水路を目指します。

洲崎川の河跡を開削して広げられている駅です。

東西線の線路は、南砂町駅を過ぎると、登り勾配で地上に出て、そのまま高架線となり、荒川放水路を渡ります。

団地と遊歩道の間に出現する、コンクリートの壁。
線路が地上に出てきました。
そして、高架橋となっていきます。
急勾配で荒川目指して登っていく高架橋。
そして、鋼橋に変わり、いよいよ荒川の橋が見えてきました。

■荒川放水路と、清砂大橋

東西線の橋のすぐ脇に、もう一つ道路橋が。
東西線の橋と、この清砂大橋は、平行するような形で架かっています。
トラス橋の東西線の橋と、斜張橋の清砂大橋。
【清砂大橋 橋長1317m、3径間連続鋼斜張橋 完成年月:平成16年】

おお、なかなか新しい橋ですね。設計したパシフィックコンサルタンツのホームページに、その当時の話が掲載されていました。

と思ったら、東西線の電車が通過。

東西線の電車が通過。清砂大橋のほうが高いのは、
将来の河川改修計画などのためなのでしょうか?

東西線の電車で、荒川橋梁といえば、1978年に発生した、突風による脱線転覆事故を思い出す方もいらっしゃるかもしれません。竜巻によって10両編成の列車の一部が橋の上で横倒しになりました。その後の強風時の鉄道の運転規制などの考え方の教訓となった事故です。

そして、荒川の堤防と、南砂の街並み。
この堤防が破堤すると、街が完全に水没するのです。

清砂大橋から、東西線の橋と、南砂の街を見ると、ゼロメートル地帯と背中合わせで都市生活を行っていることなどがよく見えます。少なくともそうしたことをよく知ったうえで、もしもの時に備えることも必要かと思いました。

■終わりに

工場地帯であり、住宅が建ち並び、改良工事の進む、東京メトロ東西線の南砂町駅周辺を歩きました。このあたりは軟弱地盤のせいか、地盤沈下の影響が大きく、多くの部分がゼロメートル地帯に。荒川の堤防が破堤すると、多くの部分が浸水するリスクを背負っています。そんな街ですが、駅も改良され、新たな施設もできており、進化が進んでいるともいえます。土木技術者としては、この街で少しでも安心して生活できるには何ができるか、を考えていければと改めて思いました。

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