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「よんほんばしら」のある街

「よんほんばしら」

初めて聞いた人には、何ですかそれは?と言われる場所ですが、地元の人達にはおなじみの場所です。子供たちは、遊びに行くときの集合場所として、「よんほんばしらに10時集合ね」と言えばみんながわかる場所。大人たちも何気なく通り過ぎている場所なので、その名前を聞くと、何となくみんなが知っています。地元・八王子市の多摩ニュータウン、南大沢の遊歩道の真ん中にあるパブリックアート。「よんほんばしら」と言うとみんなが知っていますが、正式名称で言っても多分誰もわかりません、それ以前に、誰も正式名称を知らないのではないでしょうか。写真にもある通り、遊歩道の真ん中にある4本の柱状の石のアート作品。何だか矢印が書いてあったりします。宇宙と交信しているのでしょうかね?また、高さがまちまちなので、家族などを表しているのでしょうか?地元の人たちは、この柱の真ん中を歩くか、避けて歩くかを楽しんだり、「だるまさんがころんだ」で遊んだり、かくれんぼをしたり。遊歩道の真ん中にあるので、時には少し邪魔に感じたり。でも、アートの周囲に配置されたベンチには思い思いに遊ぶ子供たちや、休憩する大人たちがいます。街に溶け込んだアート作品は、地元の人たちの暮らしに「何か」を与えてくれるようです。

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多摩ニュータウンには、このほかにもパブリックアートが多く、暮らしの中に溶け込んでいます。このアートのある場所も、「三徳プラザ近くの、水の真ん中にとんがったものがある広場」とか言うと何となく通じる気がしますが(笑)、正式名称は、「宇宙からのメッセージ」という作品だそうです。

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実はこのアート、スタジオジブリ作品の「平成狸合戦ぽんぽこ」のラストシーンにも出てきます。多摩ニュータウン開発により、この地は狸たちが暮らす場所から大きく変化してしまいましたが、実は狸たちはこの街で時には人間に化けて暮らしているそうですね。実際に、今でも夜にたまに狸に出くわしたりします。この街ができる前の原風景を知るということも、とても大切なことだと思います。

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このようなパブリックアートは、わが町の、そしてそこに暮らす人たちのシンボルなのだと思います。どこの町にも、シンボル的な存在があり、普通の暮らしの中でもそれが話題になることがよくあると思います。

例えば、私は出身が京都なのですが、京都で待ち合わせのシンボル的な場所と言えば、「三条京阪の土下座像」が定番でした。もう京都から離れて20年以上たつので、非常に懐かしいですが、楽しい思い出です。
三条大橋の前、京阪電車の駅から地上に出たすぐ前に建つ、高山彦九郎さんの像で集合して三条木屋町で飲み会というパターンが定番。下記のリンクにもありますが、実は土下座をしているわけではなく、幕末の志士が皇居に向かって拝礼している像だそうです。学生時代は全くそんなことは知りませんでした(笑)。その像をちらりと見ながら、いつもの友人と一緒に、東海道の終点、三条大橋を渡り、鴨川沿いの美しい都市景観を眺めつつ、飲み会を楽しんでいました。今から考えると、何とも贅沢な街歩きです。


街のシンボルやランドマークは、地元の誇りのように思えたり、ふるさとを思い出したり、有名なものであれば、それ自身が国のシンボルや、観光名所になったりしていると思います。

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東京で言えば、お台場・レインボーブリッジや、東京タワーなどが有名なところでしょう。これは、首都・東京のシンボルのような存在です。

京都で言えば、賀茂川と高野川が合流し、鴨川になる、賀茂大橋のすぐ上流にある、「鴨川デルタ」を挙げましょう。(写真は2018年の様子)。川の合流点が公園のようになっていて、飛び石のような亀の形をした石を飛び越えて川を渡ることができます。子供たちだけでなく、大人も含めて楽しめる場所。近所の「出町商店街」にある、ふたばの豆餅を行列に並んで買って、亀の石を渡ってデルタに座って豆餅を頬張る休日。京都での楽しい日々を思い出すシンボルのような場所です。

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私は、京都市の南西の外れ、伏見区で生まれ育ちました。帰省した時にいつも懐かしいと思う風景は、田園風景に新幹線が突っ切り、奥に京都盆地の山々が見える景色。ランドマークと言えば、おそらく愛宕山や比叡山のような稜線や、近所の通学路に広がる田んぼでしょう。帰省して心が安らぐのは、子供時代に見てきたランドマークにまた出会えて、昔感じた何かを思い出すからではないでしょうか。

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【未来に暮らしたい街とは】

未来に暮らしたい街にするにはどうしたらいいか?と問われた際に答えたいのは、「いま自分がシンボルと思っているその街の誇りを、後世にきちんと残していくこと」だと思います。それは、小さいころに見た農村風景や、きれいな山並み、水辺の風景、パブリックアート、タワーなどの風景であり、その風景に暮らす暮らしそのものであると思います。

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また、そうではなく、土木や建築の世界は、新しいシンボルを創造したり、時には解体したりすることがあります。新しいシンボルを見て、美しいと感じる人もいれば、昔のシンボルがなくなったことを寂しがる人達もいると思います。最近まで開催されていた、東京オリンピック・パラリンピックでも、国立競技場など、新たなシンボルが誕生しました。昔の競技場の思い出や、オリンピックを開催した思い出なども、やはりどこかでメモリーとして残しておくことも大切だと思います。先述した、「平成狸合戦ぽんぽこ」の話でも、狸たちが暮らしていた原風景は、きっとどこかで生き続けているはず、という思いが込められていると思いました。今の人たちが、また先人たちが生きてきた証を、後世にいかにのこしていくか、ということも、非常に大事なのだと思います。

【多摩ニュータウンのシンボル・長池見附橋】
最後に、もう一度地元・多摩ニュータウンの「長池見附橋」を紹介します。この橋は、大正時代に東京・四谷の「四谷見附橋」として架橋された橋です。この橋は、皇居の外濠の跡地の一部を使って走っているJR中央線の四ツ谷駅の上を越える橋で、赤坂の迎賓館と皇居を結ぶ重要な橋として建設されましたが、平成に入って拡幅工事のために架け替えられました。その橋を移設して保存するプロジェクトとして、また、多摩ニュータウンの長池地区の開発のシンボルとして、この橋が架けられました。長池公園は、この優雅な橋が主役の、人々が憩える場所として定着しています。

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この橋があった場所も、実は昔は、「狸たちの楽園」である、多摩丘陵の谷戸でした。土木の力で、このような美しい景観を作ってきたこととともに、昔ながらの谷戸のいとなみは、少し隅っこに追いやってしまったのではないかと思います。この長池公園の奥には、谷戸の水源を利用した水田が作られており、古くからの谷戸の雰囲気を残している場所があります。この写真を見ると、昔の谷戸の風景を感じることができ、そこに住む狸たちが出てきそうな気がしませんか?

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長池見附橋の歴史やその魅力については、以下の記事にまとめていますので、よろしければぜひご覧ください。

【終わりに】

未来の街に、いま自分たちが思っているシンボルのようなものを残して、伝えていくことが大事だと思います。私自身、本来は旅行が趣味ですが、最近はあまり遠出できないため、地元を歩き、地元を再発見した内容を記事に書いています。記事を書くことで、いまの町の姿を記録できれば良いと考えています。ここでは紹介できていない、街のシンボルをいろいろと紹介しているので、良かったら見に来てください。


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