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◎都心さんぽ◎飯田町駅跡と明治時代の鉄道橋を眺めて

真夏の都心散歩。今回の目的は、実はちょっと詳しくみてみたい橋梁があり、そこを訪れるのが主目的ですが、スタート地点の飯田橋駅付近がとても楽しくて、少し寄り道探索しながら歩いています。(前回の記事はこちら)

今回は、中央線の元々のターミナルであった、飯田町駅跡と、明治時代に架けられた歴史的橋梁を巡ります。

■飯田町駅とは?

飯田町駅とは、明治時代に最初にターミナル駅として開業させた駅です。今の中央線の飯田橋駅と水道橋駅の間にありました。神田川と日本橋川が交わる地点に近い場所に、旅客列車の駅に加え、貨物駅が設置されました。下記の写真は、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスから引用した、戦前(恐らく昭和初期ごろ)の飯田町駅周辺です。

飯田町駅の周辺。機関庫があり、貨物を日本橋川におろしている姿が見えます。

飯田町駅は、遠距離列車(汽車)の始発駅でもありましたが、昭和初期に中央線が緩行線と快速線で複々線化される際に旅客列車の駅は廃止され、遠距離列車のターミナルは新宿駅に移っていきました。

では、そのエリアに行ってみたいと思います。

■飯田町駅跡を歩く

飯田橋駅から線路沿いに旧飯田町駅に続く道。
線路沿いの擁壁には、何故か大きな鯨が。
長いコンクリート擁壁に描くには、良い壁画かも(笑)。
そして、このあたりから貨物駅が分岐していたのですが、
今ではいろんな施設があります。
これは、JR東日本の変電所。
たくさんの電線が線路上を横断する姿は、よくわからないですが美しいものです。
脇には、「飯田町6丁目通ガード」があります。
線路で南北を分断されたエリアにとっては、貴重な横断ルートです。
ここは、東京都下水道局の「千代田幹線シールド」の発進基地。
外堀に集まる水を芝浦まで流すバイパストンネルが整備中です。
少し進むと、ホテルメトロポリタンエドモントが。
JR東日本グループのホテルです。元貨物駅跡地だから、なのでしょうね。
ホテルの脇には、レールが埋め込まれています。
昔貨物駅だったことを示すオブジェ?もう少し自己主張してほしいかも、です。
昔の貨車と機関庫の雰囲気は、今は全くありません。
昔の貨物駅跡地は、すっかり再開発ビル群になりました。
これは、日本橋川に架かる、新川橋。
この辺りの日本橋川は、江戸時代に一旦埋め立てられた川が、
明治時代の市区改正事業で再び掘られたので、「新川」なのだとか。
日本橋川。今は首都高の高架下になっています。

■明治時代の鉄道橋を見る

こちらは、あいあい橋。新しい歩道橋です。
こちらは、新三崎橋。こちらも飯田町の再開発で架け替えられた橋です。
そして、これが今日の目的地である、「小石川橋通架道橋」です。

小石川橋通架道橋は、日本橋川に架かる、JR中央線の橋がその一部になります。架道橋なのに川?というのは、川の両側の道路橋を含めた連続する橋の総称が、この架道橋になるからです。写真に写っているのは中央快速線の橋で、これは昭和初期に複々線化工事で作られた橋です。古い橋は、中央緩行線の橋です。そちらは後ほどご紹介します。

この写真のあたりが、元々の飯田町駅の端部付近です。
首都高がカーブして越えていきます。
これが、道路を跨ぐ部分。手前はコンクリート橋脚ですが、
奥の中央緩行線は、レンガ橋脚です。
小石川通ガードの標示。1999年3月に、隣の構造物は出来上がっています。
1999年3月に、飯田町駅が廃止された時点で作り替えられたのでしょうか。
そして、緩行線のレンガ橋台。まだ普通に現役なのがすごいところ。
この橋は、桁高を低く抑えて、道路の高さを確保する工夫がされていそうです。
耐震補強工事が進んでいるようです。
そして、これが緩行線の桁橋。
真ん中に、大きな銘板が。
【HARKOURT DUISBURG-GERMANY 1904】

ドイツのハーコート社で1904年につくられた鋼橋です。リベットが桁の真ん中あたりにあるので、この橋はいわゆる「中路橋」になるのでしょうか。

そして、これが一番スパンの大きい日本橋川を渡る部分。
ここは上路トラス橋が採用されています。
こうやって見ると、トラスのほうがずいぶん桁高が大きいことがわかります。
黄色い電車が普通に通り過ぎていきます。なかなか立派な
轟音が鳴るのが、それがまた印象的だったりします。
そして、こちらが三崎橋。車道部分は震災復興橋梁です。
ただし、歩道橋が両側に接するように作られているので、見えにくいのが難点。
こちらは、水道橋駅寄りの架道橋部分。とても立派なレンガ橋台。
長年の使用に耐え、表面は少し風化したりしているのでしょうか。

■水道橋駅へ向かう

では、水道橋駅に向けて歩いてみたいと思います。

水道橋駅前に架かる、この橋も、何だかとても古そうです。
第1三崎町通ガード、と言う名前の橋です。
昔からある、緩行線にだけ、中間支柱があります。
快速線はワンスパンで渡る形になっています。

水道橋駅の西側から、東側に向けてもう少し線路沿いを歩いてみましょう。

水道橋駅ホームに登る階段。エスカレーター部分は増築したのでしょうか。
コンクリート製の柱がオリジナルの部分で、鋼製の柱がある箇所を拡幅しているようです。
この線路沿いの道、L字に曲がり、線路を横断することになります。
これが、「第2三崎町通りガード」のようです。
緩行線の橋脚はレンガ橋脚です。開業当時からなのでしょうね。
緩行線の線路とホームがあり、その隣に昭和になって線増された快速線の線路が。
快速線は、道路の上を跨ぐような形になっているのが特徴です。
とても特徴的な中央快速線の高架下。
【CHINA AND JAPAN TRAIDING COLD/89 YOKOHAMA 志那及日本貿易協会・横浜89番】
水道橋駅の真下に位置する、歴史的橋梁です。
快速線の高架橋、実に不思議な形です。

中央快速線のこの線増工事については、土木学会のデジタルアーカイブスで面白い記事を見つけているので、紹介します。

昭和9年の論文。見るだけでわくわくします。

【昭和9年3月:土木学会誌 立花:中央線急行線運転に伴ふ工事に就て】
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/20-03/20-3-12152.pdf

この区間は、本来なら新設高架橋を作るために、道路を移転していただく必要がありますが、移転困難な箇所なので、道路の真上に設置する方向で調整することとなり、実現したものです。

昔の土木学会誌の記述。さほどの交通量でなく、道路を移設するのは困難だったため
このような構造になった経緯が記載されています。なかなかリアルで面白い(笑)。
高架下には、一部店舗もあります。
こちらが、水道橋の東側にある、新水道橋架道橋。こちらも開業以来のもののようです。
快速線は先ほどの高架橋区間と一体になっています。
実はもう立派な歴史的橋梁の上を、普通に電車が走っているのですね。
快速線の橋梁。手前の1スパンだけは、戦後に道路拡幅で増設されたもののようです。
水道橋駅の中に入ってみましょう。
水道橋駅も、こうしたレールで作られた鉄骨造の駅です。
その後増築され、補強されているのも特徴かと思います。
総武線の電車が到着。
こうしてみると、明らかに曲がって傾いている支柱もあります。
こういった内容も勘案し、補強等を適時実施しているようでした。

■終わりに

今回はここまで。飯田町駅から歴史的橋梁である、小石川橋通架道橋を見て、水道橋駅まで来ました。完成後約120年が経過する素晴らしい構造物が、いくつかあり、これはすごいことだと改めて感心しています。

この後、電車で秋葉原駅まで移動しました。そこから東京駅まで歩きましたので、それのレポートを次回お届けしたいと思います。

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