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【しずくのぼうけん②】南大沢の下水はどこへ?

表紙の写真に写っているマンホール、大栗川の川沿いを歩いているときに発見したのですが、鮎と思われる川魚や橋などがデザインされたものです。この地域では見慣れないデザインのマンホールに、「流域下水道 おすい」と記載があり、「多摩川へ●●.●●km」との表記があります。これはどんなものなのでしょうか?
南大沢で降った雨は、どこに流れていくか?これについては、過去に「しずくのぼうけん」という名前で紹介しました。南大沢は、「多摩川水系」の支流、「大栗川」のさらに支流、「大田川」の流域にあり、降った雨は多摩川を下り、羽田空港近くの東京湾に流れ出ます。汚水はどのような道をたどっていくのでしょうか?少し追いかけてみることとしましょう。

多摩ニュータウンの下水道のうち、汚水についてはすべて、東京都流域下水道というものに集められて、稲城市にある「南多摩水再生センター」にて処理され、多摩川に放流されているのです。

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【流域下水道とは】
高度経済成長期に、首都圏の郊外の都市化が急激に進み、下水の処理が追い付かない部分があったため、多摩川などの水質が悪化しました。単独の自治体では、下水道を整備し、維持管理するにはコスト負担が多大となるため、複数の自治体で下水道を共同管理し、川の流域の水域環境保全を図る目的で、「流域下水道」という制度ができました。
多摩ニュータウンは、大規模な開発であったため、最初から単独の自治体で下水道を整備することは難しかったため、主に稲城市・多摩市・八王子市の下水道は、開発当初から流域下水道の制度を用いて整備されました。
汚水は、「乞田幹線」と呼ばれる幹線汚水管を通って、稲城市の多摩川沿いにある、南多摩水再生センターで処理され、多摩川に放流されます。

ということで、冒頭に紹介した、「多摩川へ●●km」という表示のある流域下水道のマンホールは、この乞田幹線のマンホールだったのです。多摩川への距離は、おそらく水再生センターまでの道のりを示しているものになるでしょう。

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汚水は、残念ながら地下を流れており、どのようなものかを垣間見ることはできません。流末の稲城市にある、南多摩水再生センターがどこにあるのかを確かめてきました。ということで、ここからは稲城市の水再生センター近くの探索になります。

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南多摩水再生センターは、JR南武線のそのままずばり、「南多摩駅」が最寄り駅です。南多摩駅は、高架化された近代的な駅です。

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南多摩駅は、ヤッターマンのメカニックデザイナーである、大河原邦男さんの出身地だそうで、駅前にさりげなくモニュメントが飾られていました。(本題から少しずれますが、南多摩駅探索、ということでお許しを(笑))

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駅前には、分量橋公園なる場所があります。地域の大切な農業用水を分水する施設が大切に守られていたようです。

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JR南武線の幹線道路との交点にある橋は、珍しいコンクリート製の下路アーチ橋という形式の橋です。

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駅近くに不思議スポット発見。写真の道路は多摩川の是政橋に向かっていますが、写真の正面でプツンと途切れています。手前にはなんやら不思議なパイプが。どうやら東京都水道局が管理しているようで、上水道の施設のようです。なぜこんなに巨大な管が露出しているのでしょうか?巨大なサイフォン管が多摩川を横断していたりするのかどうか・・。答えはわかりませんが、とにかく珍しい施設です。

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多摩川に架かる是政橋。橋脚の数を減らすためにか、斜張橋が採用されています。先日の東京オリンピックの自転車ロードレースでは、10㎞のパレード走行が終わり、本格的なレースが開始され、逃げる選手が飛び出すドラマが繰り広げられた場所でもあります。
(下の写真は五輪のライブ中継画像のキャプチャーです)

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【2007年6月 東京都建造 下部工施工 フジタ
 2009年6月 東京都 上部工(斜張橋部) 製作 川田工業】
斜張橋は、北行き・南行き車線に2橋架かっていますが、北行き車線の橋が1997年頃に施工されていたようです。(上記写真は南行車線)どうやら、架け替え前の橋が南行車線の場所に架かっていて、北行き車線の橋を先に完成させて道路を切換え、旧橋を壊してから南行車線の橋を施工したのではないかと考えられます。

いよいよ水再生センターの放流部に近づきます。水再生センターは、ここから数百メートル上流に当たります。

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是政橋の少し上流には、右がJR南武線、左がJR武蔵野貨物線の橋が架かっています。南武線の橋は、ずいぶん橋脚が多いですが、武蔵野線は戦後の施工であるためか、橋脚が少なくスリムになっています。平成になってからできた是政橋は、斜張橋を採用して、さらに橋脚数を減らしています。

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武蔵野線の橋脚の銘板
【多摩川橋りょう 設計:日本鉄道建設公団 東京支社
 施行:鹿島建設株式会社 基礎:潜函工 基礎根入:GL-22.15m
 竣工:1969年3月】

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さらに上流に、多摩川の河口から32kmを示す距離標がありました。

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この写真に見える施設は、水再生センターの排水施設とは違いますが、これもニュータウン開発でできた河川改良の産物です。四角いところには、見えにくいですが、「三沢川分水路」という表示が確認できます。堤防の手前までトンネルが掘られ、そこから堤防下をさらに暗渠で抜けています。

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三沢川分水路の流末がこちら。稲城市を中心に流れる三沢川の水害抑制を目的に作られた分水路です。

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【いよいよ、南多摩水再生センターの放流部】
三沢川分水路の流末の少し上流に、水再生センターの流末があります。

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左の管路と、右の開水路から、勢いよく水が流れていました。ニュータウンの中で使われた汚水が浄化されて流れつく先になります。

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少し上流には、堰が設けられています。これが、大丸用水の灌漑用水の取水口になります。これだけ分岐したり合流したりする水路が多い場所も、珍しいかもしれません。

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川崎街道から見た、南多摩水再生センターの正門。
一つの丘陵を切り崩して整地し、水再生センターを設置したということです。

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川崎街道沿いには、米軍の「多摩ヒルズ」という基地があります。中には馬術のできる場所や、子供の遊ぶ公園もあります。塀の向こうは米国、です。

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最後に、稲城市民病院の駐車場前に立つ、ちょっと風変わりな施設を紹介します。「大丸立坑」という施設。これは、病院とは一切関係なく、JR武蔵野貨物線がちょうどこの地下をトンネルで通過しており、ここに換気や排水等の目的で設置された立坑があるのです。武蔵野貨物線は、稲城市から川崎の鶴見付近まで、長いトンネルをいくつもつないで建設されており、こうした立坑がトンネル直上に散在しています。

【終わりに】
多摩ニュータウンの汚水は、稲城市の南多摩水再生センターで処理されて多摩川に放流されます。水再生センターの周辺は、興味深い施設などがたくさんあり、訪れるのも非常に楽しい場所でした。少し歩くだけで、水害対策(三沢川分水路)、下水のこと(南多摩水再生センター)、農業用水のこと(大丸用水・堰)などが学べ、JRの橋やトンネル、是政橋など、様々な形式の土木構造物にも触れることができるすごい場所です。オリンピックのメモリアル的な場所にもなりそうです。稲城市内の多摩ニュータウンの橋めぐりと合わせると、立派な土木ハイキング(ドボキング)ができそうな場所ともいえるでしょう。

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