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△乙訓さんぽ△⑦:一文橋から向日市上植野を歩く

実家の近所、乙訓地域の散歩。前回まではJR長岡京駅付近を歩いていました。昔から身近な場所だったのですが、改めてゆっくり歩くと、とても有意義な街歩きとなりました。
(前回の記事はこちら)

今回は、西国街道に架かるちょっと有名な橋、一文橋を渡り、向日市側を歩いてみたいと思います。

■今回の探索範囲はこちら

一文橋は小畑川に架かる橋。その北側には、向日町(今の向日市)が広がっています。

■一文橋を歩く

一文橋バス停。こちらは長岡京市側です。
西国街道に昔から架かる、一文橋です。
今の橋は、平成5年に架けられた橋です。
一文橋の説明をする石碑。
室町時代から続く有料道路だとか。

最初に訪問した一文橋。京都と西国を結ぶ西国街道の小畑川に架かる橋です。昔から橋が架かっていましたが、小畑川が氾濫するたびに架け替えなければならないので、架け替えの費用(一文)を通行する人から徴収するようになったのが名前の由来だとか。いわゆる「有料道路」のルーツのような橋です。今は向日市・長岡京市の主要道路の交差点となっていて、結構渋滞する場所でもあります。

こちらは、乙訓橋。新しくできた京都の外環状線に架かる橋です。
親柱のデザインは、どこか長岡京の大極殿を思わせる感じがします。

■向日市内の西国街道を歩く

長岡京市側から歩くと、西国街道は向日市内を歩き、その後京都市内に入っていきます。向日市内の旧西国街道は、実は旧道の面影がのこるとても散策するのに楽しい街道です。

向日市内の西国街道は、一文橋の脇にひっそり合流する細い道から始まります。
歴史の道整備事業 平成4年 向日市制施行20周年記念
地域に歴史あり、です。
歴史の道として整備されてきたはずが・・・
ちょっと残念な状況になっています。。
竹の形をしたボラードと、低い街路灯、石畳の道のイメージの旧街道。
向日市のマンホール。おひさまみたいなマークです。
常夜燈には、「愛宕山 御神前」の文字が。
この辺りの山岳信仰のメッカは、京都の西にそびえ立つ、愛宕山のようです。
旧西国街道と、阪急電車のガードです。
小井川という、小さな川を橋で渡ります。
小井川を跨ぐガード。阪急電車は昭和初期に一気に開通したので、
構造物の年代も昭和初期のものが多そうです。
西国街道を跨ぐガード。旧道はこの写真の広い道ではなく、広い道を斜めに横切る
細い道です。線路とはいずれにしても斜めに交差します。
この橋、「上植野架道橋」という名前のようです。新しそうな看板です。
西国街道はさらに向日市の中心部を目指して伸びていますが、
今回はここで方向を変え、東側を目指します。

■上植野地区を東へ

上植野地区を東へ進みます。京都市内が実家の身にとっては、昔の「いつもの帰り道」というイメージでもあります(笑)。

とにかくたくさんの水路が流れる地域です。
左の道、丘の上に向かう、「中筋通」を歩きます。
法道寺と言う名前のお寺。結構立派です。
古くて狭い道が通る丘の上。歴史ある集落のようです。
その一角に鳥居が。「府社向神社旅所」
少し離れたところにある、向日神社の御旅所のようです。
御旅所の社殿。
祈年祭と新嘗祭を行う時に利用するようです。
隣には、公民館と常夜燈。
南側の入り組んだ路地を歩いてみます。
細い道と古い民家が建ち並ぶ場所です。
狭い路地の一角にお地蔵さんと常夜燈が。
今でも地域の方に大切に扱われています。
そして、車両基地をくぐるガードがある場所へ。
昔は、ガードの掘割構造は無かったのでしょう。
丘の上の集落は、古そうな雰囲気です。
元々の丘の縁部に東海道本線が走っていたのでしょうか。
町の一角に、歴史街道の説明板が。
この辺りは旧・長岡京の施設跡が多数発掘されています。
長いガードを抜けて線路の東側へ。
線路の東側は、田園が広がる低地。
第五向陽小学校には、想定浸水深の表示もありました。

■終わりに

今回は、向日市内の旧西国街道と上植野地区の古い町並みを歩きました。何気ない昔の通学路は、実はとても古い集落で、今もひっそりと良い雰囲気の狭い路地が沢山ある場所です。それなりに都市部(と思っていましたが(笑))にある小さな集落ですが、それを一瞬忘れさせるくらい、とてものどかな一角を歩き回ることができました。

次回は、また別の乙訓さんぽをお届けする予定ですので、お楽しみに(笑)。


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