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★大山街道(柏尾道)を歩く③:厚木市から伊勢原市に入る
柏尾道大山街道を歩く街歩き。海老名市の門沢橋駅からスタートして、相模川を渡り、厚木市内を歩いてきました。地域に歴史あり、という感じがする非常に興味深いウォーキングです。
(前回の記事はこちら)
今回は、厚木市から伊勢原市内に入ります。
といっても、どんな場所を歩いたか、わかる人は少数派だと思いますので、今回も今昔マップで歩くルートを見てみたいと思います。
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上落合から西にクネクネ田園地帯を行く細い道が旧道。
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この頃には農地改良が行われたのか、クネクネした道が解消されています。
今回紹介する地域は、厚木市と伊勢原市の境界部分の、渋田川に沿った田園地帯が広がる場所。昔の大山街道はそこをクネクネしながら通っていたのですが、昭和初期の農地改良や、小田原厚木道路などの開通、最近の工業団地や商業施設などの開発があり、大きな変貌を遂げている地区でもあるでしょう。そんな場所を歩きます。
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その整地された区画に建つ、神奈川県総合防災センター。
厚木市の外れにある、神奈川県総合防災センター。神奈川県民の皆さんは、防災学習などで訪れる場所のようです。(※私は八王子在住なので、地元目線では、東京消防庁の立川防災館と同じ位置づけの施設なんでしょうね)まさかこの玄関が旧大山街道の名残とは、誰も知らないと思いますが・・。
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桐山金太郎の生家とあります。
桐山金太郎とは、調べてみると、明治時代に前頭で活躍した人気力士だったようです。意外な発見でした。
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厚木市から伊勢原市下落合地区に入ります。
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やはり土木屋目線(笑)。こちらは厚木市長沼地区です。
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この地域は低湿地なので、暗渠排水のポンプが重要な役割のようです。
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ロジスティクスパークなどが新たに立地しているようです。
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渋田川から一部分水して、歌川に流す役割のようです。
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この先はしばしのどかな田園地帯です。
伊勢原に入り、しばらく県道22号(横浜伊勢原線)に沿って進み、歌川を渡ると、渋田川分水路、渋田川に沿って田園地帯を進みます。その先にあるのは・・、
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目の前に平面交差する大通りがありました。ただ、この大通り、横断することはできません。なぜかというと・・、
これは、自動車専用道 小田原厚木道路(国道271号)だからです。
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施工 天岸建設株式会社、製作 リバースチール株式会社】
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渋田川沿いを進む大山街道は、小田急線の踏切に差し掛かります。
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小田急線の渋田川の橋を見てきましょう。
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の銘板が。なんと、小田急線開業時に建設された橋梁です。
渋田川橋梁は、小田急線の開業当時の橋梁でした。小田急線は、利光鶴松さんが、震災復興のタイミングで大正14年に着工し、1年半で新宿から小田原までのほぼ全線を一気に開通させたというからすごいです。当時の工事概要が、土木学会図書館のデジタルライブラリーに所蔵されている、「土木建築工事画報 昭和2年5月号」に掲載されています。
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http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/03-05/03-05-0495.pdf
ということで、大山街道を歩きながら、何だか土木な知識もしっかり吸収した街歩きでした。小田急の線路を渡ると、伊勢原市の下糟屋という地区に着きます。今回はここまで。次回は太田道灌ゆかりの下糟屋地区を歩きます。
■終わりに
厚木市から伊勢原市に入り、あまり旧街道を感じさせない田園地帯を歩く街歩きでしたが、随所に大山街道の名残が残り、様々な土木構造物を見て歩くと興味深い場所でした。
(続きは、こちら)
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