■渋谷で街歩き■2つの「渋谷隧道」を巡る街歩き
今回は、来月(12月23日)に、「まいまい東京」でガイドをする予定の、渋谷駅周辺を巡る街歩きの内容を、あらかじめ予習したり、復習したりできるような内容です。一緒に街歩きをする方は、これを眺めながら歩くと、少しは楽しみが増えるかも・・という内容です。
なお、このコースは、今回初めて歩くコースになっていて、下見をした際の記事がアップされています。こちらにコース全体の歩く内容が記されています。
今回は、このウォーキングコースを改めて紹介しつつ、主題である「渋谷隧道」のことをもう少し紹介したいと思います。
■ツアーコース
ツアーコースは、前回の下見の際に地図で示した、ご覧のコースで、中目黒駅を出発し、東横線沿いを歩き、渋谷駅まで行き、その周辺を歩いて、最後は京王井の頭線の神泉駅を目指すコースです。
このコースの特徴は、ずばり、2つの「渋谷隧道」があることです。その「渋谷隧道」はどこにあるかというと、渋谷駅付近を流れる渋谷川と、その西側に流れる目黒川の間に、小高い丘があります。その丘を越える際に、トンネルが掘られたというイメージです。
行程中の詳細な説明は、前回の下見の時の記事にお任せするとして、今回は、2つの渋谷隧道を中心に、コースの魅力をご紹介したいと思います。
■中目黒駅からスタート
この橋、面白い経緯で施工されています。元々、東急東横線は真ん中の線路(今の東京メトロ日比谷線が走る線路)を走っていました。日比谷線が建設された際、両側の東急東横線の線路が東京メトロの手で増設されて移設され、真ん中の東急の高架橋に、日比谷線の電車が走るようになりました。なので、
ということで、真ん中の2線は逆に今では、「東横線電車が走らない、東横線の橋梁」になっています。
■東横線の「渋谷隧道」へ
東横線の渋谷隧道は、中目黒駅から代官山駅までの尾根のピーク部に作られたトンネルです。
この渋谷隧道ですが、東急東横線の前身、東京横浜電鉄が1927年(昭和2年)に開通させたものです。昭和2年11月の「土木建築工事画報」(土木学会のデジタルアーカイブから閲覧)にこんな興味深い記述がありました。
このトンネル、開削工法で掘削されたという痕跡が残っています。渋谷トンネルの真上の旧山手通りは、こんな痕跡が残っています。
なお、歩くツアー中には行きませんが、代官山駅から見ると、このトンネルはこんな感じで見えます。
■渋谷駅へ
代官山駅から渋谷駅までは、2013年に地下化された、東急東横線の地上線跡を辿りながら歩きます。このエリアは、「ログロード代官山」「渋谷ブリッジ」「渋谷ストリーム」という、地上線跡を再開発した商業施設が続きます。過去の東横線線路跡をモチーフにしたオブジェ的なものもあったりしますが、意外とわかりにくいので、解説しながら歩きたいと思います。そんな中にも、たまに境界杭のような地上線時代の遺構も。
そんな探索を交えながら歩く街歩きを続けているうちに、渋谷駅が近づいてきます。
この辺りの紹介は、こちらの過去記事などをご覧ください。本当はもっと紹介したいですが、今回の記事の主題は、最後に出てくるもう一つの「渋谷隧道」のことです。様々な再開発が続いており、今も少しずつ進化をし続ける街です。3か月たったら、「あれ、ここが前と全然違う・・」みたいなことが置き続ける場所です。
■京王井の頭線の「渋谷隧道」
もう一つの「渋谷隧道」は、京王井の頭線の渋谷駅と神泉駅との間にあります。
電車の中から見ると、最初高架駅の渋谷駅からスタートし、渡り線などを経て、そのまま隧道に入っていきます。ここも道玄坂が急坂であることから、すぐに隧道に入っていく形なのですね。
この区間の井の頭線は、京王電鉄の前身である、帝都電鉄が、1933年(昭和8年)に開通させたものです。昭和8年1月の、「土木建築工事画報」に、その施工の模様が記録されています。
こちらの渋谷隧道は、地盤が良好だったためか、単線並列型のトンネルを掘削する形で施工が進められました。
こんな感じで作られた渋谷隧道。今では、耐震補強工事が施されたりしたので、鉱滓レンガの側壁などもあまり残っていませんが、とても興味深い構造物ですので、見られるところからじっくり見学したいと思います。
■終わりに
今回の主題である、「2つの渋谷隧道」は、渋谷川と目黒川の間にある、険しい坂道の上の尾根を越すために作られた鉄道隧道で、戦前に私鉄が作ったことなど、共通項はいくつかありそうですが、東横線のトンネルは開削工法、井の頭線のトンネルは山岳工法で作られていました。歩いて巡る際は、片側の坑口しか見えませんが、こんなトンネルの物語にも思いを馳せるのがいいと思います(笑)。
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