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友情はコボルトよりも弱く、トーレナ岩よりも消えやすい。(ドカポン3・2・1 ~嵐を呼ぶ友情~)

急に『ドカポン』をやりたいなあ、と思い立って、現行ハードで遊べる作品を検索してみた。ふむふむ、『ドカポンキングダム コネクト』が最新作なのだな。

ドカポンシリーズは、RPG要素のある、多人数用のボードゲーム。最新作はオンライン対戦もできるみたいだけど、やっぱり友達とオフラインで遊びたいかな。

ドカポンはなんというか、その場の空気感を楽しむべきゲームなのだ。どんな多人数用ゲームもそうだろうけど、ドカポンはとくにその傾向が強いように思う。CPUやネットワーク越しの他人との勝負では、どうしても味わえない楽しさがある。

そう確信しているのは、小学生のころ、友だちとさんざん遊び倒したからだ。プレイしていたのは、SFCの『ドカポン3・2・1 ~嵐を呼ぶ友情~』。柴田亜美先生がキャラクターをデザインしたこともあり、知名度が高い作品だ。

盤上でほかのプレイヤーと同じマスに停まると、直接対決になる。相手を打ち倒すと、資金や城、装備など、好きな財産をひとつ選んで奪い取れるのだ。勝ったほうが明るくポーズをとる一方で、負けたプレイヤーはピクリとも動かない。その画がなんとも屈辱的でね。小学生ながら、えげつないゲームだなあ、と思ったものだ。

ぼくらに上下関係はなく、学校でもゲームでも外遊びでも、ケンカはほとんどしなかった。だけど一度だけ、本作で険悪な雰囲気になったことがある。ある日曜の昼下がり、いつも仲のいいAとBが直接対決をしたときのことだ。

読み合いの末、必殺技をカウンターして、Bがギリギリの逆転勝利を収めた。おおー、やるなあ。赤宝箱産の強力な武器を持っているから、それを奪い取るだろうな。いまの自分のパラメータだと、Bにはまず敵わない。これからどういう戦略をとっていこうか……

そんなことを考えていたときだった。僕は驚愕した。Bはなんと、武器もお金も選ばなかったのだ。トップを狙うなら、必ず奪い取っておくべきなのに、どうして――

Bが選んだのは「相手の名前の変更」だった。倒した相手の名前を、自由に入力して変更できてしまう。この仕様は、最新作の『ドカポンキングダム コネクト』でもしっかり入っている。

Bの手によってAの名前は、とてもここでは書くことのできない、超お下品な名前に変えられてしまったのだ。最初は僕も笑っていたが、途中から「あれ、ちょっとこれはまずいんじゃ……」と思いはじめた。Bがテレビをじっと見つめたまま、何も言わなくなってしまったからだ。気まずい。気まずすぎる。このときの空気といったら。

ほどなくBはスーッと静かに立ち上がり、顔を真っ赤にして家から出て行ってしまった。玄関の戸(田舎だから、ドアではなく引き戸なのた)をピシャッ! と閉めた音は、いまでも思い出せる。

僕はといえば、あっけにとられつつも、すごいゲームだな、と感心していた。相手を打ち倒すと、ゲームの財産だけでなく現実の財産、すなわちプライドまで奪えるのだ、ドカポンは!

名前変更は、ゲームバランスに全く影響を及ぼさない。いわば、いやがらせをするためだけの選択肢だ。「嵐を呼ぶ友情」というタイトルのとおり、わざと、友情に亀裂が入るようなつくりになっている。

そもそも本作は、起動直後にいきなり以下のテキストが表示される。

「友情は
 コボルトよりも弱く
 トーレナ岩よりも消えやすい」

ドカポン3世著「ビビルマウンテンの黄昏」より

コボルトは最も弱いモンスターで、ドラクエでいうところのスライムだ。友だちの家に集まって、さあ遊ぼうぜ! とスーファミの電源を入れたとき……毎回、この格言めいたモノを見せられるのである。なんというか、デスゲームのはじまりのようではないか。

なにせ「嵐を呼ぶ友情」なのだ。「友情はコボルトよりも弱い」のだ。これだけのお膳立てをされてしまって、Aもつい、そういう選択をしてしまいたくなったのだろう。

……あ、翌日には学校で仲よく遊んでいたから、そこはご心配なく。いまでもAやBと会うとこの「ドカポン名前変更事件」について話すから、よほど印象が強かったのだと思う。

ああもう、またみんなと『ドカポン』や『ボンバーマン』、『マリオカート』や『スマブラ』をやりたいなあ。いまはみんな、それぞれの仕事があって、家庭があって、人生がある。老後の楽しみにとっておこう。

友情はコボルトよりも弱く、トーレナ岩よりも消えやすい。それはたしかにそうかもしれない。だからこそ大切にしなきゃいけないし、何度だって友だちになればいい。そんなことを教えてくれる作品だった。

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