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毒親育ちの「優等生」は、心が壊れかけている。

いわゆる優等生、と呼ばれる子は。
別に優秀だからそう呼ばれてるわけじゃない。

大人しくて、手がかからなくて、
ほっといても問題を起こさない

大人にとって都合のいい子供へのレッテルのような気がしている。(もちろん全ての優等生がそう、というわけではなくて)

問題を抱えている子は、問題を起こす。
間違ってないようにも思うが、それだけでは不十分で。
問題を抱えているのに、なんのアクションも取れない子がいる。それを、大人たちがまるで問題ないかのように捉えられていることが、問題だと思う。


1.ある優等生の話


成績優秀とまでは言わないものの、授業は大人しく真面目、提出物も問題なく出す。皆勤賞をとるくらいには健康で、掃除も行事もサボらないし、問題行動らしきものもない。典型的な優等生がいた。

いじめられようとも平気で学校に来る。被害を訴えることも滅多にないから問題に上がらない。問題に上がらないから、先生も気づかない。

そんな優等生のおかしな部分は、友人との会話に出て来た。

自分のことを好きだと言ってくれる人に、不満をぶつけるようにいつも捲し立てるのだ。
相手の忙しいはお構いなしに「すぐ返事をして」、気に入らなければ「私が嫌いなんでしょう」。とにかく粗探しでもするように不満を見つけては、片っ端から石を投げるように暴言を吐いて、相手を困らせるのだ。

1-1.異様な行動の原因


さて、この特定の人物からしか見えないこの異様な行動。これは彼女の「愛情不足」によるものである。

返事をしろと威圧的なのは、枯渇してる愛情を相手に求めてしまうせいだった。素直に言えばいいものを、と思うかもしれない。
けれど彼女はその「素直な愛情の求め方」すらわからなかった。わからないから、捲し立てる他なかったのだ。

子供なら親にでも、素直に「愛して」と言っても良いと思うだろう。けれど彼女にはできなかった。親に言えば揶揄われるとか、そういう感覚があったのだと思う。
親に愛してとねだって、揶揄われる?馬鹿なことを。けれど中学生くらいの子だと、素直という行動すら中々難しい。そこへ「何言ってるのアンタ」と鼻で笑われようものなら、いっそ堪えた方がマシなのだ。

そして、捲し立てられることしか知らないというのは、親にずっとそういう目に遭わされてきたから。親に一方的に罵られ、時に愚痴を吐き捨てられ、それをまるでお前のせいだと言わんばかりに捌け口にされた。子供だから、親だからと、それに反論もできず耐えなきゃいけなかった。

健全な人にはこれが理不尽に見えると思う。
けれど彼女にはそれが普通で、日常だった。

それがコミュニケーションの基盤だから、他者と関わる時は「自分が一方的に捲し立てる側にならなきゃ、またやられる側になる。耐えなきゃいけなくなる」と考えてしまう。それも無意識に。

脊髄反射で感じた不満を叩きつけることこそが、親から教わった、彼女の知るコミュニケーションだった。だからそうせざるを得ない。言い負かさなきゃ、反撃を食らってしまうから。戦わなければならなかった。

2.毒親の呪いが歪めた認知


さて、ではこの優等生に外野は一体どんな声かけができるだろう。
必要なのは、おそらく親の否定。
親が間違ってた。
捲し立てなくてもいい。
普通、相手は言い負かそうとしてこない。
君は悪くなかった。
こういうことを彼女にわからせる必要がある。

けどこれが結構厄介で、難しい話になってくる。もちろん彼女は悪くないんだけれど「ならどうしてら親はあんなにも理不尽だったんだ」を解明しなきゃいけなくなる。

彼女の認知の歪みはこうだ。
「親が自分を愛してくれないのは、自分に悪いところがあるからだ。自分にどうしようもなく価値がないから、親はこうなんだ」
という考えにある。

人は理不尽には耐えられない。だからこそ、歪でも理屈を組み上げなければいけなかった。
ここに「そんなことないよ、君は生きてて価値のある人だ」と伝えてしまうと「じゃあどうして親は愛してくれなかったの?」となりかねない。

実際、彼女は親に聞いたのだ。母の出かけている隙を狙って、家にいた父に。
「お母さんって、私のこと嫌いなの?」

たぶん、小学生の頃のことだと思う。なんと返事をもらったかは覚えておらず、ただ、後に母がヘラヘラしながら抱き締めてきたのを覚えていたので、父がさっさとバラしてしまったのだとは理解した。理解して、子供なりにこれが一線を超えていることだけは感覚でわかってしまった。わかってしまったので、見ないフリをした。

2-1.原因なんて親の不完全さに過ぎない


つまり親は、なんの落ち度のない彼女を単に嫌っていただけになる。(正確に言えば日頃の鬱憤を織り交ぜてぶつけていただけに過ぎないのだが、そこに理由なんてないことを子供が知る由はない)
これは、子供には耐えられないことだった。

だって、子供にとって親は世界のほぼ全てで、愛してもらえなきゃ生きていけないから。

それを自分で否定したら、自分は愛されてなかったと認めることに他ならない。親の愛を否定したら、生きていられないのに。

親が理不尽なのは自分が悪いから。
それでも育ててくれるのは、愛情があるから。
こう信じて、自分を否定しまくってようやく、親の愛は確固たるものになっていたのに。

ただ気分で捲し立てられてただけ。
自分に落ち度はなかったかもしれない。
もしかすると、親だって間違っていたかもしれない。

こう考えると、今度は自己否定することでようやく保っていた確固たる「親の愛」の、足場が崩れてしまう。
気まぐれで捲し立てられるように、気まぐれで愛情を失うかもしれない。

だから、目を逸らす。親は間違ってないと思わなきゃ、耐えられない。そうじゃなきゃ信じていた愛がなくなって、生きていられないから。

3.呪いを解くのが難しい理由


こういう刷り込みが土台にあると、「自己否定の傷」と「親から否定されてきた呪い」の二つを癒しながら、更に「自分を否定しない愛情」で自分を支えることも同時にやらないと、バランスを崩してしまう。

実際、親からの呪いだけでもなんとかしようと思えば、親を否定して嫌わざるを得ない。一時は回復して見えるが、親を否定するのは多大なエネルギーがいる。結果、マイナスを減らせてもプラスにはなれない。親の否定は結局、自己否定に変わりない。

呪いも呪いで、自身を形成するものだったりする。痛みを取り除こうとして、自分が削れてしまうのはよろしくない。なんというか、本当の意味では救われない。

けれど親にも貰えなかった愛情を、誰がくれるというんだ。愛情の求め方もわからないくせに、どうやって受け止めるかを知ることができるんだ。

特に愛情の受け皿が壊れてると、どれだけ欲しい言葉をもらっても心に響かないし、全部溢れていってしまう。けれど、これが彼女の普通だったのだ。自分が壊れていることにすら気づかず、異様を認識できても自分が歪だとはわからない。認知の歪みとはそういうことだから。
こんな雁字搦めな状態だからこそ、本当に長い時間苦しむ羽目になる。

この暗い暗い絶望を、優等生は吐き出すことができない。SOSの旗を振ることができず、頼り方も分からず一人で苦しむ他ない。
そもそも人との関わり方すら歪んでいて、それがわからないのだから。コミュニケーションのやり方すら蝕まれ、友達を作ることさえ難しい。頼みの綱は親しかいないのに、その親が元凶だから、相談どころか顔色を伺わなきゃいけない。

こんなにも人生をハードモードにさせられた上、その呪いをようやく認識した頃には、大人になっている。子供ですらいられなかったのに、大人にならなければならない。

毒親という環境は、あまりにも子供を追い詰めるのだ。後遺症も凄まじいし、理解もなかなか得られない。自分に希死念慮を植え付けてくれた人に「産み育ててくれた恩を忘れたのか」はお門違いだとわかってほしい。親ガチャ失敗、と言いたくもなる。

この世は完全無欠の物語ではない。
ヒーローに救われる予定もなければ、ハッピーエンドの文字が最後に待っているわけでもない。苦しめられる理由もなく、救われる予定もないモブがそこにいるだけだ。
それでも、その優等生はまだ生きている。

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