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論語に学ぶ生き方①

こんにちは。しいらと申します。

唐突なのですが、最近本を読むようになってよく「自分の道しるべとなるものがほしい」と思うようになりました。

というのも、現代は情報が多く、気がつけばSNSをダラダラと眺めてしまい、有象無象の情報を流し込むだけで時間があっという間に過ぎてしまうからです。

有象無象の情報は、次を見た瞬間に忘れてしまうくらい儚いもので自分の身にならず、本当に時間を無駄にしてるなと思うのです。そこで、古典などの古き教えから学ぼうと選んだのが『論語』です。

短い文で真理を突く。
そんな孔子の教えは今、私にとってぴったりな教科書だと感じました。学んで、学んだことは自分にとってどうだろうか。そんなことを頭の体操をかねて、学んでいきたいと思います。備忘録もかねて文章も綴っていきますので、お付き合いいただけましたら幸いです。

1.子曰わく、
故きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし。

こちらは「温故知新」の由来となった言葉ですね。

故きを温めて新しきを知る。
つまり、古き良き教えを大切にして、新しい知識を得ることが大切である、という教えです。そんな人は、師となれる。塾で先生をやっている身としては、心に留めておきたい言葉です。

過去のことを学べば、知りたいことが見えてきます。

それは過去の人たちもまた、自分と同じようなことで悩んだり、挑戦したり、あるいは突破口を見いだしたからです。
ちょうど、自分の道しるべがほしいと願った私もまた本を読み、この論語にたどりつきました。古き良き教えを学んで、心が穏やかになったのも事実です。

では、私はここから、どんな「新しき」を知るべきなのか。

2.私の新しき教えは、日々成長する生徒たち

私が常に触れる新しいことは、生徒たちの学びです。

新しい知識をどんどん学んでいく生徒たちを見て、いつも色んな発見があります。

どこで興味を持って、どこでつまずいているか。
どんな考え方をして、どんな間違い方をしているのか。

当然、得意・苦手などは生徒によって異なりますし、同じ説明をしてもすんなり理解する子もいれば、悩んで悩んで、まだわからない、と嘆く子もいます。

人によって理解や習熟のスピードは違いますから、対面で生徒たちを見ながら教えることの意義はここにあると思っています。
頑張る子は映像授業などでも頑張れるとは思いますが、やっぱり「この子にはこれも教えておきたいな!」とか「この子はここでつまずくだろうから、見守ってあげたいな」など、リアルタイムで生徒の反応を見ながら考えることは色々ありますね。

塾という性質上、相対するのは勉強が苦手な子がほとんどです。
その中で、わからないけれど、わからないなりに先生を頼り、教科書を睨んだりしながらよく考え悩む子もいます。スローペースながら、その先で必ず「わかった!」と嬉しそうな顔を見せる子です。

勉強なんてわかりにくいほど、投げ出したくなる気持ちはよくわかります。わからないと、ちっとも面白くないですから。でもその子は「わかった!」にたどり着くまでずっと悩み続けるんです。

きっと、その生徒は悩んだ先で「わかった!」に必ずたどり着けると、自分を信じているんだと思うんです。授業後にも残って自習をして、先生が出てきたら質問責めをして。その先で得られるのが、次の定期テストがたったの3点アップ、という成果だとしても、きっとずっと頑張れるんです。

「わからんわからん、俺には無理だ!」と、うだうだ文句ばかり言って、諦めがちな生徒だってもちろんいます。けれどそんな子だって「よーし、じゃあめちゃくちゃ簡単に解く方法教えるから、そのやり方だけ今日は身につけて帰ろう」と言うと、そうか簡単なのか、それならいいぞ、と集中してくれたりもします。何がどうやって、やる気のスイッチにひっかかるのか、いつも同じ手は通用しませんから、私の先生スキルの改善ポイントだといつも思います。

自分の信念を持っている子は、必ず成長します。
正直そんな子は、私の頑張りなどおかまいなしにどんどん吸収してくれるので、先生をやっている身としては楽ではあります。私から知識を得て、じゃあこれはどうなるんだろう?と私の想像を遙かに超えて学んでくれる子たちから、私も日々学ぶばかりです。

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