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忙しすぎるあなたへ セネカ 「生の短さについて」       

どうも皆さんこんにちは。

今回は古代ギリシヤの有名哲学者、セネカの「生の短さについて」という本について紹介したいと思います。もちろん哲学の知識は全く不要です。

最近、よく世間では「一番の財産は時間だ」とか言われていますよね。そういったビジネス書も多いです。しかし、実ははるか昔、古代ローマの時代でも「時間」の価値を説いた一人の哲学者がいました。それがセネカです。

本書は、今から約2000年前に書かれました。それがいまでも読み継がれているという、名作中の名作です。

さて、今日あなたはどんな1日を過ごしたでしょうか。


「朝から晩まで仕事詰めだった」
「休日だったけど、何もせずに終わってしまった」
「特に悪いことがあったわけではないけど、何か物足りなかった」

そういった人も多いのではないでしょうか。

本書でセネカは、そのような生き方を「生の浪費」として警鐘を鳴らしています。セネカは本書の冒頭でこう言います。

「だいたいの人間は、これから生きようという、まさにその生への準備をしている段階で生に見捨てられてしまう」

皆さんにも心当たりがあるのではないでしょうか。

やりたいことを後回しにしていたら、「もうこんな年になってしまった」と嘆く人、「もう夕方か」と嘆く休日。光陰矢の如しということわざにあるように、時間はあっという間に過ぎ去っていきます。それは古代ローマにおいても同じでした。

そんな中、セネカはそのような「生の浪費」をやめれば、人生がもっと豊かになるといいます。では具体的にはどうしたらいいのでしょうか?


1.まずセネカって誰?

生まれから青年期まで

セネカはスペインのコルドバの裕福な騎士身分の家に生まれました。その後まもなく叔母とともにローマに移り、青年期には弁論術や法律などを学びましたが、「経験していない病気はない」といわれるほど病弱であったため、次第に哲学に傾倒していきました。哲学者が病弱であることはよくあることですね。

名声

病弱であったとはいえ、彼はその後、財務官に当選しエリートの道を歩んでいきました。セネカがあるとき議会に参加し、演説があまりにうますぎたので皇帝に嫉妬され、亡き者にされそうになったこともあったようです。

不幸の10年

しかし彼の名声とは裏腹に、ここからセネカは運命に翻弄されていきます。父の死、一人息子の死、そして皇妃で稀代の悪女メッサーリーナの陰謀に巻き込まれ、コルシカ島へ流刑となってしまいます。(ちなみに流刑は死刑と同じくらいの重い罪でした)そこでの暮らしは想像を絶するほど厳しかったに違いありません。

転機

8年余りがたつとセネカは本土に戻ることを許されます。そこでネロー(教科書にも出てくるかも?あの「暴君ネロー」のことです)の家庭教師を任されます。ネローが皇帝になった後も、セネカはネローを導き、ローマは平和に包まれたのでした。

セネカの最期

しかし5年後、ネローの様子がおかしくなっていきます。母を暗殺し、自分の妻でさえ殺し、ローマに火を放って火の海にした挙句、それをキリスト教徒のせいにして迫害を行うという、これ以上ないほどの残虐な政治を行います。そのような事態はセネカも例外ではなく、ネローによって自害を命じられたセネカは、手首を切り、毒薬を飲み、それでも死なず、最終的に熱湯に身を投じてようやく息絶えたのでした。

2.  内容

実は、この「生の短さについて」はある人物にあてた手紙です。その人物というのは当時の穀物管理者であった、パウリーヌスという人物です。

セネカはお偉いの役人であるパウリーヌスにどのような内容の手紙を送ったのでしょうか?ざっくりと説明するとこんな感じです。

 人が生まれてから死ぬまでの時間は限られており、その短い時間をどのように使うかが重要だ。

これは考えてみればかなり当たり前のことで、だれでも思いつきそうです。

 人々が日々の忙しさや欲望に追われ、時間を無駄にすることで、本当に重要なことを見逃してしまうことが多々ある。

本当に重要なこととは何でしょう?どのようにしたら深い満足感や充実感を得ることができるのでしょうか…?

セネカが出した答えは、自己啓発精神的な成長に取り組むことであり、自己の内面や真の価値に向き合うことが重要だということです。このような努力は、一時的な快楽や物質的な欲求に満たされることではなく、より深い満足感や意味のある生活をもたらす、と言っています。

この一時的な快楽とは、現代にたくさんありますね。酒、ギャンブル、淫乱、そういった類のものです。これはよく「禁欲主義」とよばれるストア派の考えが反映されていますね。

そして重要なのが、そういった「一時的な快楽」ではなくとも、金銭勘定や、陰謀を企てること、起こりもしないことに不安を抱くこと、目上の者への媚びへつらいや、もはや仕事の一部となった「飲み会」にとられることが、他人に羨ましがってほしいがために、飲むにしろ食べるにしろ、人に見せびらかさずにはいられないということも、私たちが時間を失う原因であるといっています。私たちの貴重な時間を奪う様々なものが、当たり前のように日々の中にあふれているのです。我々はそれに気づかず、気にも留めず、気づいた時にはかなりの時間が過ぎ去ってしまっている、ということになってしまうのです。

この書は、読者に対して、人生の短さを私たちに気づかせてくれます。それは時に、ものすごい喪失感を感じることかもしれません。しかしこの本ではこれから自分の人生の時間をどう使うべきかの指針を、示してくれます。そしてやはり、物質的な豊かさや社会的地位よりも、内面的な充実感や精神的な満足感を追求すること。この考え方は、中国の思想家である老子や荘子にもつながることがあります。(荘子や老子については後日記事を出します)


実際に本を読むと現代にも通じるたくさんの事例がかかれていたり、もっとセネカの主張がダイレクトに伝わってきて面白いのですが、要約するとこのようになってしまいます。(申し訳ないです。。。)この記事を見て、少しでも興味を持った方は本で読むことをお勧めします。図書館とかにもあるはず。


さて、あなたは明日からの時間をどう使いますか?セネカの考え方がすべて正しいとも限りませんが、彼の考えを知ることで、自分の人生をより豊かにする方法を考えるときの一助となることを願っています。それでは今回はこの辺で失礼いたします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。よかったらフォローお願いします!

ちなみに.セネカのほかの作品

セネカはこの作品のほかに、「心の平静について」「怒りについて」「幸福な生について」などの作品があります。近く記事にする予定なのでお楽しみに!


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