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#045 ~音楽を始めたきっかけ 横山さん時代~

昨日、東京の大久保にある、OnAir大久保スタジオが閉店を発表したそうだ。

横山さんのリハーサルスタジオといえば、ほぼこのスタジオだったので残念としかいえない。
初期の平井堅くんもこのスタジオで、Ken’s Barのルーツとなったスタジオだった。
良いスタジオだったから、どなたかが引き継ぐのではないか?!
出来れば残して欲しい。


話しは前回からの続き〜

横山さんのリハーサルも順調に終わり、全国ツアー初日が大阪だったのを覚えている。
バンドなら集団で現場へ移動っていうのが普通だったんだけど、何故か新幹線のチケットは予め用意され現地集合という初めての体験だった。
新大阪駅から御堂筋線に乗って住所の通り行ったものの、インターネットはまだ無い時代だったのでライブハウスをなかなか探せなかった。

ライブは大いに盛り上がった〜!

その時のバンドメンバーは
ギターはウイリー中尾氏
ベースはウッディー渡辺氏
みんな横文字が付いてるんだなぁ〜って思った私もそうだった(笑)
ドラマーは西川貴博氏  そう 浅香唯ちゃんの旦那さまだ。
サックスは大島俊一氏
と、そうそうたるメンバーだった。

ウイリーさんは現在色んなアーティストのサポートをやりつつも、ハワイアントリオ・フーパーズのギタリストとしても活躍していた。
私は現在Konishikiさんのキーボーディストとしても活動しているのですが、数年前に横浜の大桟橋で行われたハワイアンイベントにKonishikiバンドで出演する際、ステージ袖からフーパーズのライブを初めて見た。
フーパーズのライブが終わると、ウイリーさんの所へ駆け寄り

「ハワイアンなんてやってるんですか?!」

と言うと


「お前もじゃん」


と、2人で笑いあった。
久しぶりに再開できて懐かしかった

元々私はバンド上がりだったので、セッション[色んなミュージシャンと音を合わせる]の数がとても少なかったので、初めましてのメンバーのグルーヴをその場で理解して演奏するのが苦手だった。

そんな中、この横山バンドはとても勉強になった。
西川さんは私が中学の頃に流行った、高中正義バンドの宮崎まさひろさんのボーヤからプロのドラマーへなり、16ビートのグルーヴが素晴らしかった。

ウッディーさんはマーカスミラーばりのグイングインしたグルーヴを出すし。

と、この現場で更にキーボードの腕とMacの技術を向上させた。


ライブには、舞台監督、ステージマネージャーと呼ばれる、ステージを管理監督する担当の人がいた。

ステージ上は照明・PA(音響)・楽器 がセッティングされるが、それらをいかに素早くセッティング&バラす事が出来るか?!というのを円滑に進めたり、本番中に進行がスムーズになるように袖で見守っているのが舞台監督の仕事だ。

最初は北野さんという監督だったが理由は知らないけれど、ある時舞台監督が変わった。

初めまして〜

と、声をかけたら、、、、、

どこかで見た事のある監督だ。。。

どこだったか?!

あ〜!

A-JARIの業界お披露目ライブの時の私の横でスモーク(演出用煙)を炊いてたあの怖い人じゃないか!!!

*22話参照〜
https://note.com/charliekomuta/n/n050d7d68be0d?magazine_key=md5261e4d0763

そう!その金子さんが舞台監督でこの現場にやってきた〜!

とても怖そうな人だった。結果は優しい人だったけれど。

確か26~7歳の頃だったので、もう出会って25年の付き合いか〜
あっという間だなぁ。

金子さんとはこの先も大きなチャンスを頂いた事に今でも感謝しています。

その後、横山バンドはバンドメンバーが入れ替わり、何故か私はそのまま起用され続けた。

ドラムに田口耕郎さん、ギターに中川進さん、ベースにFukushin!!!さん、サックスは吉田順ベイというこれまた強烈なバンドになった。

充実したmusic lifeだった。

つづく〜


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