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善教将大『維新支持の分析』を読みました

※2019年6月18日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。


 大阪都構想を看板政策に掲げ、全国的な勢力拡大の失敗とは裏腹に大阪では依然、選挙勝利を続けている大阪維新の会は、時に橋下徹氏や松井一郎氏らポピュリズム政治家が大衆を煽動することで勢力維持・強化をしてきたという言説が多くみられます。

 本書で著者はこのような言説を「印象論」だと断じます。政治家や政党、政策の分析に終始する従来の言説では、維新がなぜ支持を受けているかという問いには答えていないからです。例えば新自由主義、公務員批判といった維新の政策の特徴は必ずしも大阪に限定された問題ではないため、大阪で特に支持を受ける理由にはなりません。また2015年の都構想住民投票で、維新側が反維新側を圧倒的に上回る人的・金銭的資源を投入し、橋下代表(当時)が進退を懸けたにもかかわらず僅差で反対多数となったことは、維新支持が大衆煽動の結果だという言説にも反します。維新の意識的な動員戦略に反して、橋下氏が在任中支持率を下げ続けながら、しかし選挙で勝利を続けていることも注目すべきでしょう。

 著者は、維新支持層は煽動された大衆ではなく、むしろ大阪の有権者の「合理」による判断が維新の強さを支え、それは維新が自らを大阪全体の集合的利益を代表していると有権者に認識させることに成功しているからだと考えます。この仮説の下、政治家や政党の側ではなく、有権者の意識や行動に着目する「政治行動論」の立場で分析を進めます。具体的には各種選挙や報道機関の世論調査の結果に加え、独自で行った意識調査を統計学的に分析することで、実証的に裏付けています。

 印象論は、もはや政治運動として表出されるきらいがあります。政策や政治の進め方に問題が散見される維新の強さを許す大阪の有権者を責める風潮は根強く、地域性・府民性の名のもとに実質的に地域蔑視としてしか機能しないようなものも多くみられます。

 本書はこうした分断を煽る言説へのアンチテーゼになっています。ここから浮かび上がる大阪の有権者像は、指導者に煽動される「大衆」ではなく、個別的利益ではなく集合的利益の代表を選ぼうという合理性によって維新を支持し、一方で都構想住民投票では賛否双方の主張を吟味した上で「思いとどまる」ことができる批判的志向を持つ「市民」です。

 言い方を変えれば維新支持者は、狂信的な人が占めるのではなく、態度を柔軟に変えられる人が占めているということになります。

 地方議会選挙の多くは中〜大選挙区制をとり、大阪府や大阪市でも中選挙区制となっています。この制度は各政党が同選挙区に複数の候補者を擁立するため、政党よりも候補者個人を前面に出した選挙戦となりやすく、個別的利益の供与とその対価としての得票という構図を生んできました。

 こうした環境下で、不利なはずの維新が勢力を伸ばしました。維新の候補者の多くは新人だったりして、維新という政党ラベルがなければ当選できません。この矛盾は、個別的利益ではなく、維新こそ大阪の代表者だという政党ラベルの付与に成功したこととセットで考えると理屈が通ります。

中選挙区制という政党を機能不全に陥らせる制度のなかで、維新は偶然にも政党を機能させることに成功した。仮に維新に代わる大阪市と府の利益を調整可能な政党が存在していれば、これほどまで維新が支持されることはなかったのではないか。(中略)地方政治に政党は馴染まないという声がある。しかし断片化された利益を追求する政治家の集合体が、果たして1つの集合的な意思決定主体としての政党に対抗しうる政治勢力になりうるのか、筆者は疑問である。政党に対抗しうるのはあくまでも政党であり、ばらばらな個人が集まっている「烏合の衆」ではない。本書はたとえ地方であっても、政党を機能させる余地や必要性はあると考える。そうすることにより、1つの政治勢力が権力の中枢に居続ける状況を打破することもまた、可能になるのではないだろうか。

234〜235ページ

 私は堺市民ですから、堺市長選挙の結果との関連が気になるところです。この理論から推測できるのは、維新台頭の中であっても2回の堺市長選挙で維新が敗北したことが、堺市民が市長に対して「大阪」の集合的利益ではなく、「堺」としての集合的利益(維新側からすれば個別的利益なのかもしれませんが、利益の具体的中身がなんなのかよく分からない意味では、大阪全体も堺全体も同じでしょう)を求めた結果なのではないかということでしょう。竹山修身前市長は「堺はひとつ」を掲げ、維新を退けてきました。

 堺の衆院小選挙区は北部の16区と南部の17区がありますが、公明党に配慮して候補者を擁立してこなかった16区は別として、17区では維新候補が勝ち続けています。堺市民も決して維新を支持していないわけではなく、堺市長選挙という場では維新を選んでこなかった経緯があります。

 竹山氏の辞職に伴う今月の選挙で市長の座は維新に明け渡されましたが、ダブルスコアもあり得るのではという当初の公算に反し、反維新側の候補が支持を集め、結果的には約1万4千票差という僅差に落ち着いています。

 ぜひ堺の経緯も踏まえた分析が読んでみたいと思います。

 それにしても維新という現象は日本政治史でも特筆すべき事例であると、改めて認識させられました。示唆に富むこの現象を、政治行動論の立場から実証的に分析した著者の苦労に敬意を表します。


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