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濱口桂一郎著『家政婦の歴史』

 『ジョブ型雇用社会とはなにか』(2021年、岩波新書)のヒットが記憶に新しい著者が、なぜ家政婦の歴史?と思いながら手にとった。

 「はじめに」を読むと、なるほど「家政婦」という職業が、労働行政上、宙に浮いた存在であることがわかる。

 そしてさらに読み進めると、家政婦というビジネスモデルが戦前には法的にもその独自性を認められたにもかかわらず、戦後の混乱の中でさまざまな似て非なるものと同一視され、無理な当てはめを受けざるを得ず、現代に至るまでその矛盾を引きずっていることが分かる。

過労死と認められなかった家政婦

 本書の問いは「家政婦は、労働基準法上の『家事使用人』なのか」であり、著者の答えは「本来はNOのはずであった」だ。

 労働基準法には次のような定めがある。

 第百十六条② この法律は、同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人については、適用しない。

 この規定が2022年になって注目を浴びることになった。

 ある女性が訪問介護事業と家政婦紹介事業を営む会社に、訪問介護ヘルパー兼家政婦として登録していた。2015年、寝たきりの高齢者のいる家庭で1週間、住み込みで介護・家事に従事し、勤務を終えたその日に倒れ、亡くなってしまう。

 遺族は長時間労働による過労死だとして労災保険給付を申請したが、国は不支給とした。国の理屈は次のようなものだった。

 訪問介護ヘルパーとしては会社に雇われた労働者だが、家政婦としては会社の紹介を受けて家庭に雇われた「家事使用人」である。家事業務の時間は労基法の対象外である。よって介護業務の時間だけを見れば過労死ラインには達せず、労災保険給付の対象にはならない。

 当然、遺族は不服である。「家事使用人」を適用除外とする労基法は憲法違反だ、とか、家事業務と介護業務の区別は困難だとする介護保険法の通達を引用して、家事・介護は一体として行われていたから全体の時間で判断すべきだ、などと主張して裁判を起こす。しかし2022年、東京地裁は国の言い分を認めて遺族の請求を棄却したのだった。

家政婦は「家事使用人」ではなかった

 ところが濱口が言うように、もし家政婦が労基法の「家事使用人」ではないのなら、話の土台が変わってきてしまう。

 実際、1998年の改正で削除されるまで、1947年の施行以来一貫して存在した第8条と、労基法施行当時の労働基準法施行規則第1条は、それぞれ次のように定めていた。

 労働基準法第八条 この法律は左の各号の一に該当する事業又は事業所について適用する。但し、同居の親族のみを使用する事業若しくは事業所又は家事使用人については適用しない。
 (中略)
 十七 その他命令で定める事業又は事業所

 労働基準法施行規則第一条 労働基準法(中略)第八条第十七号の事業又は事業所は、次に掲げるものとする。
 (中略)
 二 派出婦会、速記士会、筆耕者会その他派出の事業

 「派出婦会」というのが、今で言う家政婦紹介事業のことを指す。労基法成立当初から「家事使用人は適用対象外、派出婦会は適用対象」とするという判断が確立していた。にもかかわらず、なぜ現在、家政婦は「家事使用人」と解釈されてしまっているのか。

「女中」とは違う家政婦

 労基法の「家事使用人」とは元々、いわゆる「女中」を指すものだった。ここで無知の評者は思うのである。「女中」って要は「家政婦」のことなんでは?と。

 しかし両者は似て非なるものである。労働行政上も、両者は戦後まもなくまで、異なるものとして扱われていた。

 近代日本の「女中」の源流は、江戸時代の奉公人としての「下女」である。嫁入り前の行儀見習いを兼ねた短期奉公であり、「口入」という職業紹介事業によって武家だけでなく商家や町家で四六時中、家事に従事することになる。主人の「世帯の一員」としての性質を有することになる。

 一方で「家政婦」は1920年代に「派出婦」などの名称で広がり始めた近代的なビジネスだった。女中を雇うほどではないが、一時的に家事の担い手が足りない家庭のために、有閑の主婦が「派出婦会」の会員となり、家庭へ出向いて家事サービスを提供するという内容だった。

 後に今のような継続的にある家庭の家事を担うスタイルも広まるが、元々大和俊子という主婦が始めたビジネスモデルであり、彼女が愛読していたのは羽仁もと子主宰の「婦人之友」だったことからもわかるように、やはり派出婦会は、奉公の思想が基本にある女中とはやはり違う。

職業紹介でもない派出婦会

 大和は1919年に「警視庁令紹介営業取締規則」に基づく職業紹介事業としての営業許可を受けていた。しかし規則の「紹介又ハ周旋」に、派出婦会の事業が該当しないことに気付く。

 職業紹介であれば、雇い手は家庭の主人になるし、仲介業者は斡旋が成立してしまえば、一応雇い手とも家庭とも関係はなくなる。

 しかし派出婦会は違う。サービスを提供する婦人は派出婦会の会員に登録し、需要家庭にから受け取る対価の一部を派出婦会に納める。その代わり、派出婦が粗相を起こした際の責任は、派出婦会が一種の使用者責任として負うことになる。つまり派出婦会のやっていることは職業紹介ではなく、労務供給請負なのだ。

 だから大和は1921年、職業紹介事業としては廃業の届出をした上で派出婦会の事業を継続した。内務省も結果的には、派出婦会は職業紹介ではないと、大和同様の解釈を取っている。

 ところで、労務供給請負と言えば、建築現場や工場などへの人夫供給が問題視されていた。親方による支配関係を基軸としつつも雇用関係が不透明で、多額なピンハネが伴い、労働環境も劣悪だった。そんな過酷な状況に置かれた労働者を保護する必要があるとして、1938年、改正職業紹介法により労務供給事業の許可制が始まる。

 このとき、家政婦のような会員制の労務供給事業も、外形的には同じであるということで、同じ法律の規制対象となった。これが後のボタンの掛け違いの始まりとなる。

「人夫供給」を憎むGHQ

 戦後、GHQの担当官コレットは、劣悪な労働環境を強いる人夫供給を問題視し、新たに「労働者供給事業」と呼ばれるようになった労務供給事業全てを禁止する。彼の決意は固く、近代的で人夫供給とは似て非なるものだった優等生的事業だったはずの派出婦会も「労働者供給事業」である以上、問答無用で禁止になってしまった。

 しかしやはり派出婦会のニーズはあり、特別問題があるわけでもないから、国はなんとか事業を継続させようとする。労働組合による労働者供給事業は認められるからと言って、無理やり派出婦会を労働組合に衣替えさせようとしたがうまくいかない。派出婦会が禁止されてしまった以上、職安が「紹介」するという形で派遣事業を担おうとするが、やはりこれもうまくいかない。

 ビジネスモデルの趣旨に合わない形態を無理に取らせてもうまくいかないが、そうしないとGHQの指示に従ったことにならないというパズルの中で、結局、職業安定法で認められる有料職業紹介事業の中に家政婦を追加し、それまでの派出婦会は家政婦紹介所に衣替えすることとなった。

制度の隙間に置き去りにされた家政婦

 社会正義の実現を志すコレットの大鉈振るいにより、家政婦という近代的なビジネスモデルが、行政上さまざまな制度に無理に当てはめられ、とりあえずその当てはめが落ち着くと、まもなく官僚も関心を失う。そして当てはめの無理がたたって、長時間労働規制の対象から漏れてしまう。

 そんな悲しい状況が、長きにわたり放置されてきたことに驚く。制度の網から抜け落ちる弱者、というのは他にもさまざま指摘されているが、まさか家政婦がそのような存在だったとなぜ気付き指摘する人がこれまでそういなかったのだろうか。

 本書ではそこまで書いてはいないが、放ったらかしにされた一因に、家事労働、あるいはケア労働そのものの地位の低さがあることは直感せざるを得ない。

 ところで著者は労働法政策の研究者であり、法やその運用、解釈の積み重ねに一定の重要性を認める立場である。家事使用人は適用外という労基法の規定にはいろいろと問題があるが、制定の経緯をたどればそう簡単に否定できるものでもない。この重みを踏まえた議論をしている点が真摯である。

 ただ、家政婦という先進的なビジネスモデルの元の在り方に即する形で、堂々と派遣事業化すればいいという著者の提唱は、理屈としてはそうなのだろうが、そもそも実際に派遣が解禁されても派遣事業へ移行しなかった家政婦紹介所が、今もなお存在し、結果、悲劇が起こり裁判にまでなったという帰結ではないのだろうか。あまり処方箋としての筋が見えないのが残念だ。

 余談だが、著者の所属組織、労働政策研究・研修機構が最近「家事使用人の実態把握のためのアンケート調査」の結果を公表している。

訪問介護サービス事業者や家事代行サービス業者等に雇用される働き方ではなく、個人家庭と契約する家政婦(夫)として働いている理由(複数回答)は、「勤務時間の長さなどの制限がないから」が33.6%と最も高く、次いで、「知人から紹介されたから」が22.2%、「賃金が高いから」が20.2%などとなっており、「特に理由はない」も18.9%ある。

 長時間労働規制を忌避したくてわざわざ、家庭に雇用されることを望む人も少なくないようで、これはこれで悩ましい。


(追記:2023年9月20日22時59分)
 著者からリプライをいただきました。下記記事もご覧ください。


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