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パティソン事件とグランツ発売の因果関係

■パティソン事件とは?

1899年。 パティソン事件(Pattison affair)が起こり、業界全体の危機を引き起こした。エジンバラのブレンダーのパティソン兄弟は、強気一方、相当あくどい商法で売り上げを伸ばしたが、資金繰りに窮して帳簿操作で切り抜けようとしたが倒産、多くの蒸溜所や関係会社が連鎖倒産に追い込まれた。兄弟は裁判で有罪となり服役刑に処せられた。
稲富博士のスコッチノート 第101章

稲富博士のスコッチノート 第101章 バランタイン・ウイスキーの話-その2.バークレー・マッキンレーからハイラム・ウォーカー(スコットランド)の時代 (ballantines.ne.jp)


■「グランツ スタンド・ファスト」とは?

グレンフィディック蒸溜所などを所有するウィリアム・グラント&サンズ社が1898年に発売したブレンディッド・ウイウスキーで、今の「グランツ ファミリーリザーブ」へと繋がる商品です。

当時、原酒を製造する生産者(モルト蒸溜業者)と、原酒を購入するブレンド会社(ウイスッキーメーカー)は、立場の弱い「作り手」と、立場の強い「買い手」という構図がありました。

その中で、モルト蒸溜業者であるウィリアム・グラント&サンズ社が、自らブレンディッド・ウイスキーを製造・販売したことは、業界の構造を変えるような大きな挑戦だったと思うのです。

スコッチ・ウイスキー業界の川上への垂直統合。でも異端児が現れた!《グレンフィディック》|チャーリー / ウイスキー日記|note


■ウィリアム・グラント&サンズ社がグランツを発売した理由

◇ウィリアム・グラント&サンズ社が
 ブレンディッド・ウイスキー「グランツ」
 を発売した理由


新興かつ大手のブレンド会社のパティソンズ社が破産。(パティソン事件と呼ばれる)

大口の原酒の納入先であったパティソン社がなくなったことで、ウィリアム・グラント&サンズ社は、モルト原酒の売り先がなくなり、連鎖倒産の危機に。

そこで、自社でのブレンディッド・ウイスキーの製造・販売に乗り出した。

これが、日本語のサイトでも、英語のサイトでも「ウィリアム・グラント&サンズ社がグランツを発売した理由」として紹介されている内容です。

ウイスキーグランツを学ぶ!味や種類、おすすめの飲み方 (barrel365.com)


ただ、今回、パティソン事件について調べている中で、「少し時系列が合わないなー」と思ったので、チェーリー的マニアック解説をさせていただきます!


■時間軸を整理

◇パティソン社倒産

1898年 7月 パティソン社が絶好調な業績を発表

1898年12月 パティソン社の資金繰りがショートして破産。

1899年1~6月頃 約半年間にわたりパティソン社の清算処理。

※この時系列のため、パティソン社の倒産を1898年としているものと、1899年としているものがあるようです。
◇グランツ発売

1898年?月 「グランツ スタンド・ファスト」発売

※発売月は、調べてもわかりませんでした。引き続き、調べてみたいと思います。

一般的に紹介されているように、
「パティソン社が倒産したので、グランツをつくり上げて発売した」
というのであれば、
「グランツの発売は、1899年になるのでは?」
と思うのです。

だって、パティソンズ社が資金ショートで破産したのは、1898年12月なわけですから。


■ウイスキーバブル崩壊の兆候

1898年12月のパティソン社の破産により、スコッチ業界のウイスキーバブルが弾けて、長い低迷期に入るのですが、パティソン社の破産の前から、
「スコッチウイスキー業界って、パブルじゃね?」
という兆候はありました。

◇兆候① パティソンズ社って怪しくね?

「1894年の初夏の頃、DLCの取締役会ではパティソンズ社の資金力は『極めて疑わしい』と記録されている。9ケ月後の同取締役会で再びパティソンズ社の信用力について議論されたが、重要な顧客を潰すことを恐れて何の対策も行わなかった。」
スコッチウイスキーの歴史 P196-197 国書刊行会

結局、最後にはこのDLC(※1)が腹をくくり、代金の不払いを理由に「パティソンズ社の口座を凍結」した(※2)ことが直接的原因で、パティソンズ社は破産に追い込まれます。

※1  DCL:現在のスピリッツの世界最大企業ディアジオへの繋がる会社で、今も昔もスコッチ業界の盟主。

※2 「DCLは、30,000ポンドの未払い残高の後、アカウントを凍結しました。同社は粗雑な会計慣行を通じて利益を大幅に膨らませ、いくつかの多額の債務不履行に陥っていたことが明らかになりました。」(以下、Wikipedia英語版「パティソンズウイスキー」より)

パティソンズウイスキー-ウィキペディア (wikipedia.org)

◇兆候② 小規模なブレンド会社が倒産済み!

「ウイスキー業界関係会社すべてが順調ではない兆候は、1898年5月、老舗のエジンバラのブレンド会社J&G・スチュワート社倒産したことであった。その事業はDCLの援助で存続し~」
スコッチウイスキーの歴史 P198 国書刊行会

ちなみに、この「小規模な会社の倒産」が、その後の「市場全体のバブル崩壊」への前兆であった、といのは歴史的にわりとあるケースだと思います

(話は逸れますが、2023年3月10日に、アメリカのシリコンバレー銀行が破綻して以降、銀行不安が急激に高まっています。
米大手銀行が救済を発表するなどして、金融市場も一応の平穏を保てていますが、今後の「世界的な金融市場の崩壊」とならないように祈るばかりです。)


■ウィリアム・グラント&サンズ社の立ち回り

上記の兆候①や兆候②があったので、ウィリアム・グラント&サンズ社が、パティゾンズ社の破産前に、

・ひょっとしてこの業界ってバブル状態なのでは?

・このままモルト蒸溜業者のままでいたらヤバくね??

と思い、「自社でのブレンディッド・ウイスキーの発売を準備」していたとしても不思議ではありません。

ただ、家族経営でその「フットワークの軽さ」が社風として根付いているウィリアム・グラント&サンズ社です。

チャーリー的には、グランツの発売年(1898年)と、パティソンズ社の破産年月(1898年12月)の時系列を見た時に、以下のように思いました。

・グランツを発売したのは、パティソンズ社が倒産したからではなく、もともとそれとは関係なくブレンディッド・ウイスキーの発売を計画していたのでは?

・モルト蒸溜業者であったウィリアム・グラント&サンズ社が「グランツ」を発売した時には、業界内では色々な反発を招いたが、すぐにパティソンズ社の破産という大事件が発生したので、グランツ発売のゴタゴタはうやむやになったのでは?

ウィリアム・グラント&サンズ社のその後の「チャレンジ精神」に溢れた歴史を鑑みると、そのように思えてならないのです。


■ウィリアム・グラント&サンズ社 チャレンジング列伝!

ウィリアム・グラント&サンズ社の「チャレンジング」な歴史については、また別の機会にご紹介したいと思います!

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