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【バブル崩壊前夜】ブレンディッド・ウイスキー全盛時代《パティソン事件①》

■ブレンディッド・ウイスキーがスコッチを「世界の酒」に!

1860年に、スコットランドにおいて、法律的にブレンディッド・ウイスキーの製造が解禁されると、ブレンディッド・ウイスキーの時代が到来します。

これは、

◇モルトにグレーン原酒をブレンドすることで
 ・ウイスキーが洗練された味わいに進化した。
 ・低価格&安定供給が可能になった。

というスコッチ・ウイスキーの長所が磨かれたことに加え、

・ヨーロッパでイケている飲みものとされてきたワイン

・そのワインを蒸溜したものであるブランデー

が、1860年代半ばから手に入らなくなった。

ことによる、代替需要が高まったからです。


■なぜ「ワイン」と「ブランデー」が手に入らなくなったの?

ウイスキーから話がずれますが、「ヨーロッパの酒類史」において、とても重要な出来事なので触れておきます。

当時、ヨーロッパの上流階級を中心に『お酒の主役』の地位にあった「ワイン」「ブランデー」が手に入らなくなったのは、下記理由からです。

1860年代半ばから、「フィロキセラ」と呼ばれる害虫が猛威を振るい、ヨーロッパ中のブドウの木を、根っこから枯らせてしまったから。

その頃、ほとんどのヨーロッパのブドウの木が枯れてしまったそうです。

ただ、逆境があると、それに立ち向かい工夫を凝らす人が現れます。

色々と試行錯誤する中で、アメリカ系のブドウの木が、フォロキセラに耐性を持つことが判明。

「でもアメリカ系のブドウじゃ、美味しいワインができないよ~」

という悩みを、
『接ぎ木』
という技を編み出すことで、フィロキセラ問題は解決へと向かいます。

◇ブドウの接ぎ木
根元はアメリカ系ブドウ
 + 
その台木の上にヨーロッパ系ブドウの枝を差し込む
 ↓
フォロキセラにやられずに、ヨーロッパ系のブドウが収穫できる!

しかし、接ぎ木が一般化するのは、1870年代後半のことで、それまでにヨーロッパにおけるワイン用のブドウは一旦壊滅してしまいました。

歴史的にずっとワインやブランデーを嗜んできたヨーロッパの人々が、10年以上もお酒を我慢できるわけもありません。

グレーン原酒をブレンドすることで「洗練されたお酒」となった「スコッチのブレンディッド・ウイスキー」が、一躍、世界の表舞台へと躍り出たのには、こういうラッキーな追い風もあったのです!

ちなみに、一度もフォロキセラの被害にあうことなく、接ぎ木でない純粋なヨーロッパ系のブドウ品種が残るのは、フィロキセラが猛威を振るう前に、ヨーロッパからのワイン(=ブドウづくり)が、植民地政策と同時に伝わっていた南米(チリ・アルゼンチン)や、オーストラリアなどに限られます。

現在は、チリワインのコスパが高くて人気ですから、チリワインを飲む際には、そういう歴史に思いを馳せてみるのも良いですね!


■スコッチ・ウイスキー業界『黄金の10年間』

こうして、1880年半ばから1898年頃まで約10年間は、
ゴールデンディケイド(黄金の10年間)
と呼ばれるスコッチ・ウイスキーの全盛期を迎えます。

◇ブレンド会社(ウイスキーメーカー)により、
・様々なブレンディッド・ウイスキーが発売
・ド派手な広告による積極的な販売
・ウイスキー原酒を確保するため、次々に蒸溜所を買収&新規開業

の流れが続きました。

まさに、ブレンディッド・ウイスキーを手がけるブレンド会社が、ノリに乗っていた時代です。


■その中でも、特にブイブイ言わせていたパティソンズ社

・ジョニーウォカーのジョン・ウォーカー&サンズ社

・デュワーズのジョン・デュワー&サンズ社

・ブキャナンズ※のジェームズ・ブキャナン社
※ 現在は、ブキャナンズ・ブレンドより「ブラック&ホワイト」が有名

今でも有名なこの3社は、当時、通称「ビッグ3」と呼ばれ、ゴールデンディケイドの10年間で、海外市場を中心に事業を大きく拡大して行きました。
(この頃から、強いブレンド会社=買い手、弱い蒸溜会社=売り手、という構図がより鮮明になっていきます。)

そして、「大手に続け!」と新興のブレンド会社も次々に登場します。

その中で、特にブイブイ言わせていたのがパティソンズ社です。

◇パティソンズ社
・1849年 R&W・パティソン社設立

・1880年代 パティソン兄弟がウイスキー・ブレンダーとして台頭

・1887年 パティソン・エルダー社が合名会社としてブレンド事業を開始

・1896年 パティソンズ社が合名会社から株式会社に転換

・1898年 パティソンズ社が莫大な負債を抱えて破産

・1901年 パティソン兄弟が詐欺と横領罪で投獄


■スコッチ・ウイスキー業界におけるバブル崩壊

このパティソンズ社の歴史を見ると、まずは「破産」&「詐欺と横領罪で投獄」が目に留まります。
フツーじゃありませんよね??

そして、『パティソンズ社の破産』は、1企業の破産に留まらず
スコッチ・ウイスキー業界の
バブルを崩壊 & 長い低迷期に突入

させるインパクトがありました。

パティソン事件以後、
約50年、第二次世界大戦後になるまで、
新規に蒸溜所が開設されない!

というレベルの「苦難の時代」に突入することとなるのです。

このパティソンズ社について、次回、もう少し詳しくご紹介します!


■(おまけ)スコッチ大不況 超マニアックな歴史解説

1898~1899年のパティソン事件以降、一般的には「半世紀近く蒸溜所の開設がなかった」とされています。

これはかの有名な蒸溜所の設計者チャールズ・ドイグ(あの蒸溜所のパゴダ屋根のデザインを考えた人)が、手がけた最後の蒸溜所:グレンエルギン蒸溜所(1898年設立)の建設の際に、
「今後50年スペイサイドに蒸溜所は建たない」
と予言したことがベースとなっています。

稲富博士のスコッチノート 第64章 「チャールズ・ドイグ」 [Ballantine's] (ballantines.ne.jp)

実際、「スペイサイド」に次に蒸溜所が開業するのは、グレンキース蒸溜所(1957年)トーモア蒸溜所(1958年)なので、ドイグの予言は当たっています。

ただ、この未曽有のスコッチ不況の中でも、「スペイサイド以外」では、開業した蒸溜所もあったので、下記に記載しておきます。

1898年 
パティソンズ社 破産

グレンエルギン蒸溜所 開設(スペイサイド:現役)

グランツ スタンド・ファスト 発売
1908年
モルトミル蒸溜所 開設(アイラ島:閉鎖済)

1938年
インヴァーリーヴン蒸留所 開設(ローランド:閉鎖済)

1949年
タリバーティン蒸溜所 開設(ハイランド:現役)

1957年
グレンキース蒸溜所 開設(スペイサイド:現役)

1958年
トーモア蒸溜所(スペイサイド:現役)

文献によって、グレンエルギンの次に、50年以上を経てスペイサイドにできた蒸溜所を、「グレンキース」としているものと、「トーモア」としているものがあります。

「蒸溜所を着工した年」、「蒸溜を開始した年」の違いや、グレンキースは元々「ストラスアイラ蒸溜所の第2蒸溜所」という位置づけだったりした点が影響していると思います。

ただ、今回調べてみても、「どちらがグレンエルギンの次にスペイサイドにできた蒸溜所なのか?」はイマイチ判明しませんでした。
機会があれば有識者の人に、聞いてみたいと思います!

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