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日本のクラフト蒸溜所の興り『イチローズモルト』

前回は、アメリカ・スコットランドにおけるクラフト蒸溜所の興りについて、記事にしました。
法改正までのパッション! 世界で急増、クラフト蒸溜所!!|チャーリー / ウイスキー日記|note

今回はご当地日本のクラフト蒸溜所の興りについて解説します!


■世界中で増え続ける蒸溜所 《日本》

現在、日本ではすごい勢いでクラフト蒸溜所が増えています。

2022年6月の時点で、ウイスキーの稼働蒸留所が約60ケ所、ジンを造る蒸留所はパブやバー、レストランに併設されているものも含めれば、ウイスキーのそれを超え、80ケ所以上に上っている。
(中略)
ジヤパニーズにクラフトウイスキー蒸留所やジンの蒸留所が登場しはじめたのは2016年くらいからで、ベンチャーウイスキーの秩父蒸溜所が創業(生産開始)した2008年時点で、ウイスキーを造っていた(蒸留していた)のは、北から順に余市、宮城峡、秩父、富士御殿場、白州、知多、山崎、江井ケ嶋の8ケ所しかなかった。
ウイスキーガロアAUGUST2022・Vol.33・P6-7 
発行:ウイスキー文化研究所

現在の日本のクラフトウイスキー業界を『0』から切り開いたのが、2008年生産開始のベンチャーウイスキー秩父蒸溜所です。
(現在は近くに第二蒸溜所もできましたので、こちらは第一蒸溜所です。)

ベンチャーウイスキーそして秩父蒸溜所は、色々な面で、超すごいのでなかなか書き尽くせませんが、その偉業の概要をお伝えできればと思います!


■ベンチャーウイスキー:秩父蒸溜所

ベンチャーウイスキー:秩父蒸溜所(製品名:イチローズモルト)は、肥土伊知郎さんが開業した小規模蒸溜所で、ベンチャーウイスキーの会社としての創業は2004年、秩父蒸溜所の蒸溜開始は2008年です。
現在、その商品の評価も知名度も非常に高く、世界の歴史ある蒸溜所と同じ土俵で、ガチンコで競い合っています。
まさに「名実」ともに、世界トップグループに属しているのです!

以下、象徴的なニュース記事です。

《2017年》イチローズモルト秩父ウイスキー祭2017ボトル

英国で開催された世界で最も権威のある品評会「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)」の「シングルカスクシングルモルト部門」で世界最高賞を受賞! 
埼玉・秩父から世界一へ イチローズモルトの奇跡 | 経済界ウェブ (keizaikai.co.jp)

その後、このWWAにおいては部門をまたぎながら5年連続で世界最高賞を受賞中です。
イチローズモルト5年連続世界最高賞:朝日新聞デジタル (asahi.com)


《2019年》イチローズモルト:カードシリーズ54本

香港のオークションにおいて約9,750万円!で落札。
和製ウイスキー最高額落札 埼玉産、香港で約1億円: 日本経済新聞 (nikkei.com)


■逆境からのスタート

肥土さんのイチローズモルト誕生秘話は、色々なメディアで特集されているので、詳しくはそちらを参照いただければと思います。

「ウイスキー界のロックスター」と評される男・肥土伊知郎が「フィールド」を大切にする理由 | 文春オンライン (bunshun.jp)

1億円で落札! 秩父が産んだウイスキー「イチローズモルト」が僅か12年で世界的評価を得た理由 | 文春オンライン (bunshun.jp)

私からは、大まかな流れをお伝えします。

サントリーでサラリーマンをしていた肥土さんが、ご実家の東亜酒造さん(日本酒の他、自社蒸溜所=羽生蒸溜所でウイスキーなども製造)に戻ったのが1994年。

■東亜酒造
1625年(寛永2年)、肥土酒造本家として創業した日本酒の酒蔵の老舗。1946年にウイスキー免許を取得し、「ゴールデンホース」という銘柄を展開。その後、羽生蒸溜所を開設し、ウイスキー原酒を製造。
一時は、「北のチェリー、東の東亜、西のマルス」と称され、昭和の地ウイスキーブームの一角を占めていました。

肥土さんが家業に戻るも、日本酒・ウイスキーのダウントレンドは止まらず、外部環境は厳しさを増すばかり。ついに2000年、東亜酒造さんは、民事再生となり、羽生蒸溜所も閉鎖されることになってしまいます。

その時、貯蔵されていた約400樽のウイスキー樽も廃棄される予定となったのですが、肥土さんの東奔西走の働きかけで、どうにか一時的な保管をOKしてくれる先を見つけます。

この保管をOKしてくれた会社は、福島県笹の川酒造さんで、東亜酒造と同じく和酒メーカーながらウイスキーもつくっていました。
(前述していますが『北のチェリー』と称された昭和の地ウイスキーの一角「チェリーウイスキー」を製造。)

時が育むお酒=ウイスキーの「貴重な価値」、自社製造で貯蔵熟成させた原酒の「わが子のような愛おしさ」を、笹の川酒造さんも痛いほどわかっていたのだと思います。

肥土さんは、ウイスキー樽を積んだトラックを自ら運転し、埼玉=福島間を20往復以上して、この羽生蒸溜所のウイスキー原酒を守りぬきます。
(肥土さんと笹の川酒造さんの深い付き合いは続いています。2016年に笹の川酒造さんが新しく安積蒸溜所を開設して、新たな蒸溜を開始した際には、アドバイスを惜しまなかったそうです。)

2004年にベンチャーウイスキーを創業。翌2005年、その笹の川酒造に置かれた羽生蒸溜所の原酒をつかったイチローズモルトを発売します。これはなかなか売れず、肥土さんみずからBARを回って、売り込みながら、バーテンダーさんの声に耳を傾けたそうです。

その後、自らでのウイスキー製造を決心し、2007年にウイスキー製造免許を取得。
2008年、日本初というべき小規模クラフト蒸溜所の秩父蒸溜所を立ち上げ、ウイスキーの蒸溜が開始されるのです!


■イチローズモルトのすごいところ

私が感じている「肥土伊知郎さん=秩父蒸溜所=イチローズモルト」のすごいところです。

・2008年に蒸溜開始

・自らBAR回りで営業

・つくり方が基本に忠実かつ超本格

・クラフトならではの斬新な発想、スピード感ある実現

・ハンパないウイスキー愛

・とにかく実直

予想通り、今回の記事では書ききれなかったので、詳細は別途の記事でご紹介します!

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