見出し画像

有名ブレンディッド・ウイスキーの銘柄は、街の商店発!

■ブレンディッド・ウイスキー 誕生の流れ

《前回記事》

『ブレンディッド・ウイスキー』、はじまりは雑貨屋のオヤジの閃きから!|チャーリー / ウイスキー日記|note

(前回のあらすじ)
・農民が余剰の大麦からモルト・ウイスキーをつくるようになる。

・自家消費で余った分は、街の雑貨店・食料品店に買ってもらうようになる。

・街の雑貨店・食料品店は、最初はそのモルト・ウイスキーを「樽出し」で量り売りするも、1樽ごとの味のブレが大きく、クレームのもととなった。
アンドリュー・アッシャーさんが、1853年にモルト原酒同士をブレンドした「ブレンディッド・モルトウイスキー」を、1860年にモルト原酒とグレーン原酒をブレンドした「ブレンディッド・ウイスキー」を発売し、大人気に!
その後、スコッチ・ウイスキーは、ブレンディッド・ウイスキーの時代へと突入。


■有名ブレンディッド・ウイスキー銘柄は、街の商店発が多い!

このようにブレンディッド・ウイスキーは、「街の雑貨店・食料品店」がモルト原酒・グレーン原酒を生産者から仕入れてブレンド。

それぞれの商店が自社でブレンドした「ウイスキー銘柄」を売り込んでいった歴史があるので、「街の商店発」の有名ブランドが多数あります。

◇ジョニーウォーカー

ジョニ黒とかジョニ赤とか、色々な種類がありますが、そのジョニーウォーカー・ブランドは、5大ウイスキーにおいて、堂々の売上No.1です。

同社の創業は1820年。創業者ジョン・ウォーカーはエアシャーの小作農の息子で、15歳で小さな食料雑貨店を開きました。転機となったのはブレンデッドの誕生で、アンドリュー・アッシャーと同時期にジョンもブレンドを思いついたといいます。ジョンが考案したのがウォーカーズ・オールド・ハイランド・ウイスキーで、これがのちにジョニ黒に発展していきました。
新版ウイスキー検定公式テキスト P114 小学館

◇バランタイン

スコッチ・ウイスキーのブランド別売上ランキングで、ジョニーウォーカーに次ぐ、2位の売上を誇ります。

バランタインの創業は1827年。創業者のジョージ・バランタインはローランド地方の農家の出身で、18歳でエジンバラに食料雑貨店を開きました。1869年に、当時ブレンド業の中心だったグラスゴーに進出。息子のバランタイン・ジュニアが後を継ぎ発展を続け~
新版ウイスキー検定公式テキスト P104 小学館

◇ティーチャーズ

白状します。私の「家飲みボトル」です。
少しスモーキーで飲みごたえがあり、酒質も良いのに、激安価格帯で、一番コスパが高いウイスキーだと思っています!

ブランド名の由来は、創業者のウィリアム・ティーチャーから。ウィリアムがウイスキーと関りを持つようになったのは1830年。グラスゴーの小さな食料雑貨店に雇われたことがきっかけでした。1851年に正式にワイン・スピリッツ商として独立してから店は大繁盛。当時誕生して間もないブレンデッドウイスキーにも取り組み、独自のブレンドを開発しました。
新版ウイスキー検定公式テキスト P118 小学館

◇フェイマスグラウス

マッカラン蒸溜所を所有し、シングルモルト・マッカランを発売する会社が扱っている低価格ブレンディッド・スコッチ。
本場スコットランドでは、ベル、フェイマスグラウス、グランツが、三つ巴の売上1位争いを繰り広げています。

製造元のマシューグローグ社の創業は1800年。創業者のマシューはパース近郊で貴族の土地の管理人をしていましたが、ワイン・食料雑貨店の娘と結婚し、その事業を継ぐことに。当初はワインを扱っていましたが、やがて自社ブレンドのウイスキーも手がけるようになり、事業は急速に拡大。
新版ウイスキー検定公式テキスト P109 小学館


■ちなみに角瓶も街の商店発!

角瓶は日本で一番売れているウイスキーで、サントリーが販売しています。

サントリーは、創業者の鳥井信治郎が1899年に「鳥井商店」を創業したことにはじまり、「洋酒の寿屋」を経て、1963年に「サントリー」という社名となっています。

サントリーの創業ビジネスは「ウイスキー事業」や、「赤玉ワイン」と言われることが多いですが、創業当初の商いは、そうではありません。

鳥井商店は、

「缶詰類」「輸入樽詰ワインを瓶詰したもの」を販売する食料雑貨店

がスタートです。
驚くほど、スコッチウイスキーのスタートと似ていますね!

鳥井は、スペイン産ワインを樽で仕入れ、瓶詰をして、その本物の味わいを、当時の日本人に売り込もうとしたのです。

ただ、当時の日本人の味覚には本物のワインは酸味が強く、いかに「本物」であったとしても受け入れられなかった。

そこで鳥井は、独立前の丁稚奉公先で学んだブレンドの技術を生かし、大衆の舌にマッチした赤玉ポートワイン(現・赤玉スイートワイン)をつくり上げ、それが大ヒット。
会社の礎を築き、その後、日本初のウイスキー事業へ参入します。

この飲みにくいアルコール(最初はワイン、その後にウイスキー)を
「ブレンドにより大衆に受け入れさせる」
という流れも、スコッチのブレンディッド・ウイスキーの草創期とまったく同じです。


■商店発の商品が売れたわけ

スコッチのブレンド業者、そしてサントリー創業者鳥井が、ともに「アルコール原酒の製造会社」でなく、「食料雑貨店」がスタートであるのは偶然ではないでしょう。

というのも、彼らは『プロダクトアウト思考』「良いものだから売れる」という職人的な考えでなく、「たたき上げの商人」ならではの『ど根性』『マーケットイン思考』で、大衆が求めるもの考え抜き、品質改良を重ねて、「売れるまで」あきらめることなく挑戦し、変化し続けたからこそ、成功したのだと思います。

また、その頃、食料雑貨店では、当時すでに流通しだしていたワインブランデー香水葉巻など高級嗜好品を取り使っているケースが多かったです。
大衆が求める「嗜好品」というものに対して、商店の経営者として、『極限まで感性を磨いた』という環境気概があったことも成功の要因と考えられます。

このように、スコットランドでも日本でも、ウイスキーが、「洗練された都会の酒」として認知され普及し、市民権を得ていくまでの前段階には、「食料雑貨店」とその「ど根性を持った店主」が存在しているのです。


■スコッチ・ウイスキー=ブレンディッド・ウイスキーの時代

このように、ブレンディッド・ウイスキーが世の中を席巻すると、スコッチのモルト・ウイスキー業者(&アイリッシュ・ウイスキー業者)は危機感を抱き、

グレーン・ウイスキーをブレンドしたウイスキーなんか、ウイスキーなんかじゃねぇ!

と裁判を起こします。

この1905年に起こされた裁判は、1906年に一旦はモルト・ウイスキー業者側に軍配が上がるも、37回の審理を経て、最終的には1909年に

グレーン・ウイスキー原酒をブレンドにつかってもウイスキー!

という逆転判決で決着します。

こうして、スコッチ・ウイスキー業界では、およそ20世紀の丸々100年間は、「ほぼブレンディッド・ウイスキーしか存在しない」状態となりました。


■ブレンディッド・ウイスキー全盛が与える影響

次回はこれについてご紹介します!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?