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創業者自らひたすらBAR回りの現場力、イチローズモルト!!

■イチローズモルトのすごいところ

前回からの続きで、私が思う「肥土伊知郎さん=秩父蒸溜所=イチローズモルト」のすごいところについてです。

・2008年に蒸溜開始
・ウイスキー氷河期に自らBAR回りで営業
・つくり方が基本に忠実かつ超本格
・クラフトならではの斬新な発想、スピード感ある実現
・ハンパないウイスキー愛
・とにかく実直

今回はその中の「ウイスキー氷河期に自らBAR回りで営業」についてです。


■ひらすらバーテンダーさんの声に耳を傾ける!

イチローズモルトの最初の製品は、民事再生となってしまった実家の東亜酒造が製造した羽生蒸溜所の「ウイスキー原酒」で、当時は笹の川酒造さんに預かってもらっていたものを瓶詰した、2005年発売「イチローズモルト」です。

この頃は、2008年の角ハイ・プロモーションにはじまるウイスキー復権の前の時期であり、ウイスキーの氷河期です。
今からは想像はつきませんが、山崎だろうが、響だろうが、余市だろうが、まったく売れなかった時代です。
こんな時代にウイスキーの新ブランドを立ち上げて販売開始する情熱、本当にすごいですね!
ただ、肥土さんに勝算がなかったわけではありませんでした。

肥土さんは、東亜酒造が民事再生になってしまう前から、羽生蒸溜所の原酒をサンプル瓶に詰め、BARを回って、売り込みはせずに、バーテンダーさんからの評価を聞くことを繰り返していました。

そのバーテンダーさん達からは「これは面白い」=「個性が際立っている」という声をもらい、仲間のバーテンダーさんを紹介してもらうこともあったそうです。
ここで、肥土さんは、羽生蒸溜所の原酒は「大手メーカーのように飲みやすい」わけではないが、ウイスキーの味わいに個性を求めるBARなどでは受け入れられそうだ、と思ったそうです。


■シングルモルト人気で潮目が変わりだした

ちょうど2000年代前半はウイスキーのトレンドが変わりつつある時期でもありました。

日本国内のウイスキーの全体の消費は落ち続けていましたが、2000年頃より日本でもシングルモルト・ウイスキーが、その地酒的な個性を評価され、楽しむ人が増えてきまた。

ウイスキーが飲まれるシーンにおいて、昭和的な「スナックでオネーチャンとパーっと飲むウイスキーの水割り」のイメージから、違いをわかる通が「シングルモルト・ウイスキーの味わいの中に個性を見つける」といった新しい飲用シーンが誕生してきており、それもイチローズモルトの初陣の助けになったと思います。


■とはいうものの、売り切るのに2年!

この初代のイチローズモルトは、600本製造されたそうですが、それを完売させるのにかかった期間は、なんと2年! 
今の品薄・品切れ状態のイチローズモルト人気からは考えられませんよね!?

この時は「売り込みはせずに、バーテンダーさんからの評価を聞く」なんて悠長なことは言っていられません。必死にバーテンダーさんに売り込みをしたそうで、この2年間で訪れたBARはのべ2,000軒を超えたそうです。

そして、バータンダーさんから高評価&ご注文をもらえたら、取引をしている酒販店さんを聞いて、その酒販店さんに商品の流通(=納品)をお願いするという地道な営業を、ひたすら続けたそうです。


■話はずれますが、BARへの酒類の流通

ここで、ベンチャーウイスキーがBARに直販しないのか?と思われる方もいらっしゃると思いますが、飲食店業界の酒ビジネスにおいて「直販」することは、あると言えばありますが、かなり稀です。
業務用酒販店という「飲食店に酒を卸す」プロに、販売してもらうのが一般的です。

なぜなら、その酒販店さんが味方になってくれて「イチローズモルトって知っている? オススメだよ!」と、他の得意先のBARに案内してくれたとしたら、自分1人で営業するより、何十倍も広がりがあります。

逆に、直販をした場合、そのBARが普段からお取引をしている酒販店さんからしたら、「商売を横取りされた(その直販ウイスキー分の取引高が少なくなる)」形となります。当然、面白くないです。
そうなると酒販店さんからは、「イチローズモルト?? やっぱり大手メーカーの商品に限るよー。それは今回の1本だけにして、今度発売される大手メーカーの限定品とかご案内させてもらいますから、そっちの方がオススメですよ」と言って、直販商品をメニューから外すような商談をするケースも想定されます。

肥土さんは、元々はサントリーで酒類営業をしていましたから、この辺りの「酒類業界の流通」には精通しています。そのため、業務用酒販店さん経由で、BARと取引を開始したのだと思います。


■現場力

机上の空論でなく、現場を回っている人は本当に強いです!

そういった意味では、ベンチャーウイスキー・秩父蒸溜所を創業した肥土さんは、ウイスキーが飲まれる現場であるBARの何千軒を、何年もかけて、自分の足で回り、バーテンダーさんの声に耳を傾け、感性を磨き上げているので、とても強いと思います。

その現場力からくる「強さ」について、次回、もうちょっと解説してみたいと思います。

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