くろりす

くろりすです。投稿と人生をサボりがち。 ◆くろりすのお題箱→https://odaib…

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くろりすです。投稿と人生をサボりがち。 ◆くろりすのお題箱→https://odaibako.net/u/chloris_since20

マガジン

  • くろりすの気まぐれエッセイ 2022

    くろりすのエッセイ集2022年版です。

  • くろりすの研究ノート

    日常のふとした疑問について考えてみるnoteです。

  • くろりすの気まぐれエッセイ 2020

    くろりすのエッセイ集2020年版です。

  • くろりすの気まぐれエッセイ 2021

    くろりすのエッセイ集2021年版です。

最近の記事

はじめての帰省

幼い頃、「実家」という言葉の意味を「おじいちゃん/おばあちゃんの家」という意味と勘違いしていた。 おそらく「自分と自宅の関係」と、「両親とおじいちゃん/おばあちゃんの家との関係」とが同一のものであるという認識が持てなかったのだろう。だから両親が「夏休みは実家に帰省するよ」という時、私もまた(両親と共に)「実家」に「帰省」するのだと思っていたのだ。 一人暮らしをするようになって、私はようやく正真正銘「実家に帰省する」立場になった。 大型連休の初日、約一ヶ月ぶりに地元の駅に降り

    • 読書、サブスク、コンテンツ

      本は紙のものを買って読むのが好きだ。その理由はいくつかあるが、一つ挙げるとするなら「読み終えた後も手元に残るから」だと思っている。 「読んだ後も残るなんて、嵩張るだけじゃないか」と思う人もいるかもしれない。実際、世の中では「モノをもたない暮らし」がもてはやされたりもしているし、そのような考え方のほうがひょっとすると、現代では受け入れられやすいのかもしれないなとは思う。 しかし、本に対するこうした姿勢はそれが持つ重要な価値のいくつかを見落としている。第一に、私たちの脳は一度読

      • 初めての一人暮らし

        大学院を出て就職し、この春から一人暮らしを始めた。生活リズムと生活環境と生活場所が一気に変わったので、特に最初の三日間くらいは精神的な負担が結構大きかった気がする。夜は眠れないし、夜中に何度も目が覚めるし、ようやく寝ついたと思ったら悪夢を見て飛び起きたりして、何もしないうちにクタクタになっていた。 それから一週間が経ち、ようやく自分の中でリズムが掴めてきて、こうして朝早くに起きて文章を書ける程度には回復している。 二十年以上を実家の子供部屋で暮らしてきた私にとって、一人暮ら

        • JR御坊駅

           トンネルを抜けた電車が、南の方角を目指して海沿いの線路を走っていく。  私は旅行用の有線イヤホンで音楽を聴きながら、窓の外に視線を向けた。  頑なに傘のマークを掲げていた天気予報を見事に裏切って、青く晴れ渡った空。その色を鮮やかに映した水面は、まるで呼吸をするように複雑に揺れ動いている。  和歌山発、御坊ゆき。─一足先に車で目的地に向かった仲間たちに合流すべく、私は各駅停車の4両編成で紀伊半島の海岸をのんびりと南下していた。  ごく小さな頃の特別な乗り物だった小さな金属の

        はじめての帰省

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        • くろりすの気まぐれエッセイ 2022
          7本
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          2本
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          5本
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        記事

          学級旗

           これは、私がかつて犯した大きな過ちについての話だ。  中学生の頃、体育祭における学級活動の一環として、クラス単位での応援に使う「学級旗」を制作することになった。  生徒一人ひとりがイラストの形で案を持ち寄り、多数決で選ばれたものが採用され、その後は発案者を中心にポスターカラーを使って制作を進めることになっていた。  季節は3年生の秋。高校受験を控えていた私に当然旗のデザインなどに労力を割く余裕などはない。ものの数分程度のやっつけ仕事で作り上げた案を提出し、他の誰かが挙げ

          アイデンティティ・クライシス

           親に対しては過剰なくらい従順な私にも反抗期があった。高校一年生の夏から秋にかけてのころである。と言っても大したエピソードがあるわけでもなくて、母親の説教に対して言い返してみたりとか、父親の旅行の計画を断ったりとか、今思い返してみれば可愛いくらいの、ちょっとトゲトゲした私がそこにいた。  もちろん当時は「私は今まさに反抗期を迎えている!!」みたいな確固たる認識があったわけでもなくて、ただ親が間違った考えや言動をしていると思ったときに、自分の正しいと思うことを持ち出してぶつけた

          アイデンティティ・クライシス

          鳥取砂丘

           ゴールデンウィークも後半に差し掛かったある日。張り切った様子の父が早朝からハンドルを取り、朝9時を過ぎた頃には車は鳥取砂丘の見える駐車場に停まっていた。  やはり連休中だからか、パーキングの大半が県外ナンバーで埋まっている。この調子だと昼頃には満車になってしまっているに違いなかった。  人混みがピークになる前にと、とにかく海を目指して砂浜に足を踏み入れる。目を凝らすまでもなく、普段の海岸なら水平線が見渡せるであろう場所に、巨大な砂の壁が聳え立っているのがわかった。  どこ

          新学期の花見

           先日、大学院の新入生ガイダンスがあり、久々にキャンパスに足を踏み入れた。卒業式からはや二週間。今年度からは大学院生として、再びここに通うことになる。  天気も良く、キャンパスの桜がちょうど見頃を迎えていた。午前中の説明会を終えた私は食堂で簡単な昼食を済ませると、庭園のベンチに腰を落ち着けた。  暖かい春の陽射しを受けて、満開になった花びらの薄桃色が輝いている。時折吹きおろす風がそれをはらはらと散らして、青草の鮮やかな地面にも無数の小さな花が咲いたかのようだった。  午前中

          新学期の花見

          卒業

           先日、大学四年生の私は無事に、卒業式の日を迎えた。  もともと、私は卒業式のようなイベントがあまり好きではなかった。その内容というよりは、その機能において―すなわち、それまで続いてきた「日常」に終止符を打つにあたって、式典という「非日常」を借りてくることに違和感を覚えるのだ。  卒業式において総括される学校生活という日々は、時に非日常的な出来事という例外はあるにしても、基本的には変わり映えしない、ありふれた行程の反復に過ぎない。  その反復の終端として必要なのは「いつもよ

          「せっかくの大学生活なんだから」に思うこと

           「せっかくの大学生活なんだから○○しなさい」「大学生は~したほうがいい」。大学生として過ごした4年間の中で、私より年配の方から、直接あるいは間接的にそんな言葉を掛けられることがあった。  おそらく当人は、あくまで親切心からアドバイスを与えているつもりなのであろう。しかし私はこうした発言に対して、違和感と反感の入り混じったような複雑な感情を抱かざるを得ない。  私の―そして私と同世代の大学生たちの生活は、2年前の春を境に様変わりした。突然キャンパスへの立ち入りを禁止され、授

          「せっかくの大学生活なんだから」に思うこと

          教養の灯をともす

           教養のある人と話すのは本当に楽しいもので、それまで全く知らなかった情報が、全く予期しない形でぽんぽんと飛び出してくる。この世界に関する多くの情報を片手に収まる情報端末から検索できてしまう今の時代だが、いちいち検索していたのでは絶対に生み出せないようなアウトプットのテンポ感が心地よい。そして何より、ほとんど連想ゲームにも近いような情報の結びつきにその人の考え方の根本を垣間見るような気がして、ちょっと言葉を交わしただけでなんだかこちらまで一つ賢くなったような気がしてくる。  と

          教養の灯をともす

          あの日から、11年。

           11年前の3月11日。私は当時関西地方に在住していて、その日は小学校で卒業式の練習をしていた。午後2時46分。たぶん私は体育館で同級生に交じって、半ばうんざりしながら時間が過ぎるのを待っていた。揺れなども特に感じることはなかったし、携帯電話やスマートフォンなども持っていなかったから、その時巨大地震が起こっていたとは、知る由もなかった。  帰宅した私はいつも通り、ピアノ教室に出かけた。出かける前に、母親が「地震があったらしい」と言っていたような気がする。家にテレビはあったけれ

          あの日から、11年。

          それでも、「戦争反対」と言い続けなければならない。

           最近、毎日の夕食の時間が少し辛い。何も、食卓に何か変わったことがあったわけではない。けれど、ふと目を落とした朝刊の一面に躍る「侵攻」の二文字。つけっぱなしになったテレビに映るのは、空爆を受けた無残な街の様子。着の身着のまま逃げだした罪のない人々の悲鳴がスピーカー越しに聞こえてくる。左手の茶碗の中で湯気を立てている白飯があまりに不釣り合いで、頭がぐらぐらするような感じだ。けれど、その現実から目を背けるのがどうも悪いことのような気がして、結局食い入るように画面を見つめ、記事を目

          それでも、「戦争反対」と言い続けなければならない。

          食パン

           食べ物に罪はないけれど、スーパーの食品売り場に陳列されている食パンを見ると、どこか恐ろしさを感じてしまう自分がいる。  いったい食パンというのは実に現代的な食事である。まるで定規で測ったような立方体で、その色遣いは茶色の枠の中を白のバケツツールで塗りつぶしたかのようだ。そして4~6枚にスライスされた一つ一つが「これがあなたの一食分ですよ」という顔をして袋の中に収まっている。おまけにどのメーカーのものを買っても見た目や味の点でほとんど変わり映えしない―あのもちもちした単調な

          「家族で年越し」は、少しだけ疲れる。

           三箇日を過ぎて久々に普段通りの一日を終え、心のどこかでほっとしている自分がいる。  実家暮らしの私はこの年末年始を普通に家族と過ごした。美味しいものを飲み食いし、普段あまり話す機会のない両親とおしゃべりしながらテレビを観た。非常にありがちで、特に苦労も困難もなく、お手本のような年越しだったと思う。・・・ただ、それがひと段落して、なんだか肩の荷が下りたような気がしたのは事実だ。  思い返すと、イベントという非日常は、かつて私にとって「日常の上位互換」であり、永遠に終わってほ

          「家族で年越し」は、少しだけ疲れる。

          今年の抱負

           去年はいろいろと大変な年だった。詳しいことはここには書かないが、とにかくやらなければならないことがたくさんあり、その割には見返りがほとんどなくて、心身ともにすり減った一年だったような気がする。お金はなくなるし、生活習慣が乱れたりもして、全体的にあまり褒められた暮らしぶりではなかった。  そこで今年どうするかだが、まずは心と体の健康を保つことを第一の目標としたい。生活リズムを整え、日々健康に過ごすよう心がけようと思う。寝込んでしまっては何もできないし、気持ちが沈んでいると生

          今年の抱負