見出し画像

子どもの限界を大人が決めてる

休日の動きってアクティブだなあって
自画自賛してたけどよくよく振り返ってみるとほとんどルーティン化していることに気が付いてしまいました。
春日でございます。

さて。
子育てに関する色々な本をみていると
例外は除き、ほとんど共通してるのが
子どもをなめるなってことです。

自分はさすがにそうじゃねーだろなんて思っていても
ところがどっこい
やっぱり意外となめてしまっている

そこは悪気あってのことではなくて
過剰な愛情の裏返しです。

立派になってほしいとか
失敗して傷ついたらかわいそうとか
他人の子より出来てほしいとか

さまざまな思いがある。

でもそこで整理したいのは
大人の思いが先行してないかってことです。

例えば他人より出来てほしいって完全に親目線じゃないですか。
他人の子より出来て優位に立ちたいのは親の方で
その感情は一生満たされることはありません。

ずっと比べ続けるのはしんどいです。
これは昔流行ったミニ四駆のレース場と一緒で
同じところをずっと回っている状態。

勝ってもすぐに次のレースが始まって
すぐに負けたりします。
景色が変わらず、勝ったか負けたかだけ。

そこに得られるものはずっと一緒です。

話がそれかけました。
ここ最近長男5歳の成長が凄まじくたくましさすら感じる。

つい一年前にはクラスが変わり、
引っ込み思案だった彼は友達と接することで自信をつけて
今ではすっかりたくましいです。

一年前は
発達に心配があると保育士から言われ、
心理士との面談とかありました。

その時にお話ししたのは
以下の通りです。

親が感じる中では何の問題もありません。
足りない部分もこれから獲得していけば良いと思っています。
それでも園の活動で心配を感じるのであれば
心理検査もやってかまわないです。
でもそれが全てと思わないでください。
よくわからない方が来て検査だけをする一部を全てと思わないでください。

もちろん保育士の心配はわかります。
この平均化された世の中で平均から外れる子がいれば心配するのは当然。

でも日々見ているのは親であり、
保育園の先生です。

たまにくる心理士の意見とか
たまに受診に行く先生の意見は一部です。

僕は仕事として日々そんな方と関わることが多いから
声を大にしていうけれど専門家の意見なんて一部です。

否定はしませんが、一部を全部に捉えがちな体制はまずいです。
誰も幸せにならない。

もっと言いたいのは子どもは大人が思っている以上に
自律しているということ。

自分でなんでもできるということではありません。
出来ないことは補い合いながら
コミュニティーの中で成長していっている。

そういったことを考えると大人が思った以上に子どものことをなめているのかもしれません。

子どもは大人に合わせて自分の立ち振る舞いを決めます。
こう振舞ったら喜ぶなとか
こう振る舞えば心配してくれるなとか

もちろん計算していっているんじゃない。
大人が求めていることを察してやってくれている。

子どものことを出来ないと思っている大人出来ない我が子を見ると
「ほら、やっぱり自分がいないと出来ない」と安心します。
そうすることで親としての存在意義を感じられるからだと思います。

そうなると子どもの可能性を決めているのは大人です。
それだと誰も幸せになれない。

なんだか少し否定的な感じになってしまいましたが
自分も子どものことをなめてしまっているなあと思う瞬間を多々感じます。

こんなことできるんだとかほんとびっくりする。

知らぬ間に「それは無理だよ」とか「だめだよ」とか使っている。
一番子どものことを分かっていないのは親自身なのかもしれない。
日々反省です。

明日はどんなサプライズが待っているだろう。

ではまた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?