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看護専門学校、あわただしい受験、そして奇跡の合格まで。
のつづき。
看護専門学校を受験するにも、受験勉強なんてしてない、
急には無理だが、一度お試し受験はしておこう、
そうと決まれば入学願書である。
まず近くに看護専門学校があるか探すところからはじめ、
仕事の合間に学校に赴き、入学願書をもらった。
窓口で、昨年度の入試の過去問をもらえるというので、
それももらって帰った。
数学と英語を解いてみたものの、もうさっぱりわからんので、
潔くあきらめ受験当日を迎える。
高校生に交じって、
チラホラ、お兄さんお姉さんの姿が見られる。
中には、見るからにお年の方も。(おじいさん?)
みなさんチャレンジャーである。
お試しなので緊張も何もなく、
とりあえず入学試験を受けてみる。
そして何の手ごたえもなく帰宅。
妻と、まあまた来年がんばろうと話し、
後日念のため合格発表を見る。
受かってる(笑)
職場にも報告し、おそらく2次面接で落ちると思うので、
退職にはならないと思うと伝え、2次面接の日を迎える。
1次の筆記試験前に、入学願書を提出したのだが、
そこに志望理由というものを書いていた。
前の記事にも書いたような経緯を書き、
看護師の学びを深めたいと結んだ。
面接でもその内容を伝えると、以下のような質問が続いた。
面接官からの質問
「職場で情報伝達・コミュニケーションについて どんな工夫をしたか?」
「受け取り方に個人差があるので、支援にバラツキが出ないように、具体的に指示する、数値化できるものは数値化して伝える」、「毎月、指示書を出して利用者宅に置き確認・サインさせる、同じ内容をヘルパーにメール配信した」、などと返答した。
「急に辞めて職場は困らないのか?」
という質問には、「困るでしょうけど、それは残された時間で誠意を持って対応していくしかない、現在も引継ぎ中だが、自分がいなくても回るようなシステムを、育休取得前にもつくっていたので、その繰り返しです」と伝えた。
「職歴について説明して下さい」
訪問介護をやる前の20代前半は、全く畑違いの食品業界にいた。この質問にはうまく答えられず、「対人援助職に就きたかった」という、あいまいな返答のみにになってしまった。そのせいか、どんな仕事をしていたのかとかなり細かく聞かれ、うろ覚えな記憶をたどりつつ、たどたどしく答え妙に時間がかかった。
ここは、今後の就職面接でも課題になると捉えている。
「なぜ看護師でないとダメなのか?」
前職のままで良いのでは?そのようなニュアンスであった。
「看護師になるための勉強を通して、対象の心身に何が起きているのかを把握できるようになる、そして、ケアを自分だけでするのではなくて、チーム全体で一定水準以上のケアを行るように周りを動かせるような看護師になる。」
これまで出会ってきた優秀な訪問看護師のエピソードを交え、そんなふうに答えたように記憶している。
後日談ではあるが、入学後に同じクラスの女子学生に、「面接時間、すっごい長かったですよね」と笑われた。私の次の順番でドキドキしながら待っていたらしい。
自分では必死で気が付かなかったが、隣の面接室で行われていた面接時間の2人分くらい、つまり倍はかかっていたみたい。
しゃべりすぎたかな(笑)。
話を戻そう。
面接の対策はおろか、何を話すか全く整理せず望み、思いのたけをぶつけてきただけで、2次面接に来ても、まあ受かるとは思っていなかった。
妻にも、とりあえず面接受けてきたよーと話し、まあ来年がんばるからよろしくねと2人で飲みながら笑いあった。
合格発表日。
もしかすると、もしかするかもしれないので、
訪問の移動中、念のためチェック。
担当していた統合失調症の方から、「総理大臣に立候補するのでこれから国会議事堂に行く」と連絡が入り、自宅まで止めに行く最中、信号待ちでスマホから合格者の受験番号一覧を見ていた。
合格!
さすがに驚いて、その場で妻に電話した!
妻氏、絶叫(笑)!
そしてずっと応援してくれてた看護師Aさんにもすぐメール。
すぐに返信あり、
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
っていう返信があったのを今でも覚えている(笑)。
ひとまず自分を落ち着けて、
絶賛立候補中の利用者さんのところに行き、
ご飯作って食べてもらいつつ説得し思いとどまらせて、
風呂入ってもらって、眠剤飲んでもらって入眠を確認し帰宅。
この合格に、上司はヨロめきつつも、年度一杯の退職について全面同意してくれて、なんとか最低限の引き継ぎをして、3月末日に退職、新年度から晴れて看護学生になれたという訳だ。
試験成績が希望者には開示されるというので、請求してみた。
国語85点 数学45点 英語40点
よくこれで受かったな…
面接試験はB判定。(面接はABCの判定でCは不合格。)
ギリギリセーフだったな…
でも受かったもん勝ちである。
Aさんと、亡くなった利用者さんが背中を押してくれた、
そして妻が「やってみな!」と快く送り出してくれたからこそ
今こうして看護学生をやっていられる。
本当に感謝しかない。
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