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私はなぜ旅行をするのか?


昨晩、同行人と話し、後に自分でまとめたものをそのまま載せる。間違いはあるかもしれないけど、許してちょ。


私はなぜ旅行をするのか?


私は世界を見るために生きている。世界を見ないまま死ぬわけにはいかない。なぜなら、今いる周りの環境に恵まれていると感じつつも、それに満足していないからだ。世界を見ることで、最高の死に場所を探している。というと、ちょっと堅苦しいかもしれない。つまりは、より居心地の良い住処を探しているのだ。

大学はつまらない。高校が恵まれすぎていたせいかもしれない。大学には寒いノリをする陽キャや何の中身もないつまらない陰キャが大半を占めていてて、もっと話したくなるような激おもろ陰キャはほとんどいない。私は、色んな語り草を持つ人を探しているし、自分がそうありたいと思っている。だから旅行をするし、本を読むし、自分を沢山見つめる。そう、これらをすることで色んな話題カードを集めているのだ。

Q1.沢山カードを集めることは、一種のマウント合戦に巻き込まれてしまうことになってしまうのではないだろうか?


昨今のSNS時代、InstagramやTwitter(Xは甘え)では自分はこんなにも良い経験をしているんだというマウント合戦が繰り広げられている。その戦いに勝つために食べ物の写真を撮ったり、色んな場所に行ったりする。でも大抵の場合、その食べ物の味や場所の良さなどのモノの真の価値には気づけていない。私がしているカード集めも、結局はマウントを取るためと見られてもおかしくない。でも私はそうではない。私にとってのカード集めは、ただカードを沢山集めるだけの孤独な戦いである。相手が自分よりカードを多く持っていたら、上がいるんだということを素直に認め、自分がより多くのカードを得られるためにどんなことができるのかを学び取ろうとする。そこに敗北感はない。むしろ、そんな凄い人から色んなことを吸収したいスタンスだ。もし、カード集めをしていて、周りに自分がマウントを取りたいだけなんじゃないかと思っている人間がいるのなら、心の中でそっと「ああ、この人は自分より経験が乏しい人だから気にしなくて大丈夫だな」と思えばいい。そしてそれによって自分を正当化しちゃえばいい。ただ、注意すべきは、このような相手を負かすことがカード集めの目的ではないということ。あくまでも、マウントマンと思われたときの対処法である。

Q2.なぜ沢山カードを集めるのか?


高校のときの倫理の先生の人生観が好きで、自分も同じような考えを持っている。それは「人は皆死ぬ。どんな派手人生を歩もうと、惨めな人生を歩もうと大体同じぐらいで死ぬ。僕だってあと70年もすれば死ぬだろう。どんなに足掻いても同じような人生しか与えられないのならば、折角だし色んな経験をしてから死にたい。だから僕は今日も生きる」というものだ。そう、どうせなら沢山カードを集めて死にたいのだ。それはまるでバイキング形式のディナーのようなものだ。同じ金額を払うのならば、少ない量を食べるよりかは沢山食べる方がずっといいのではないだろうか?

Q3.バイキングの卵かけご飯がめちゃくちゃ美味しかったら沢山食べなくてももうそれで満足ではないか?


つまりは、沢山経験をしなくても、いくつかの自分を変える経験をするだけで十分ではないか?ということだ。でもどうだろう、それが最高の卵かけご飯だと判断するためには、色んな卵かけご飯を食べてみないとならないではないだろうか。でも、この意見に対してはある程度共感できる部分がある。人間が自分の人生を振り返ったときに、それが良かったか悪かったかを判断する基準には死ぬタイミングが大きく絡んでいると感じる。つまり、90歳まで生きたとしてもやり残したことがあれば死にたくないし、28歳でも23歳から5年間世界を旅してもう見たことがない街がないほど世界を満喫した後ならば、そのとき死んでも後悔がないということだ。卵かけご飯も、最高だと思った瞬間に他のものを食べるのをやめてしまえばそれが最高のままになる。一方で、また別の卵がもっと美味しい卵かけご飯を作ってくれるかもしれないということがチラつけば、それを食べるまではバイキングは終われないかもしれない。

Q4.自分はサハラ砂漠に行かないまま死んでも後悔はないのだが?


バイキングを食べたときに、「ああ、ひじきを食べ忘れてしまった」と後悔するだろうか?後悔するのは、食べてないものではなく、食べた量の少なさではないだろうか?

Q5.自分はバイキングで卵かけご飯を極めるだけでもいいと思う


これは同意する、というか自分がまさにそのような人間かもしれない。世の中には色んなカード集めの方法がある。旅行、読書以外にも、漫画、アニメ、映画、ドラマ、スポーツなど。僕がしているバイキングは、一つ一つの料理に地名が当てられているのではなく、色んな趣味が当てられているのだ。その意味で僕は卵(旅行)と納豆(読書)くらいしか食べてないかもしれない。そしてもちろん仏道修行のように、己を搾り上げる、まるでご飯中にたくあんだけを食べるようなことでも何も問題がないと思う。大事なのはどのくらい食べるかだ。

Q6.そんな私は他人に何ができるだろうか?


それはこんなカードがあるんだということを教えてあげることだと思う。もちろんマウントではない。僕がしたいことは学校の先生に近いと思う。つまり、何も見返りを求めずに、カードを見せてあげることだ。例えば、友達が旅行に行きたいとなれば、何の報酬を貰わずに、計画案を練ってあげたり、オススメの本を教えてあげたりなど。それにより、その人が沢山カードを持つようになったら嬉しいし、僕より沢山持っているのなら、それはもっと嬉しいかもしれない。

私は何のために旅行をするのか?ここから色んな思考へと広がった。これから自分が必要とされる人間であるためには、思考をやめないことが不可欠だろう。今日もまた、色んな世界を私は求めている。

P.S.
↑これ俺がパートナーを持つの向いてなさすぎる証明でもあるだろ

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