28 ボタンをポチッとから人権を考える
母は、我慢強すぎる。
痛み止めにはオキノームを処方されていた。
(少量の水で溶かし、飲む粉薬)
痛い、というのでオキノーム飲む?と聞いても
「飲まない。」
「まだ、飲むほどの痛みじゃないから。」
と返ってくることがしばしばあった。
しょっちゅう飲んでしまうと効かなくなるから、ということ。
その代わり本人が飲むタイミングは
相当の痛みなのだろう。
夜中3時でも、朝の5時でも、
痛いといえば起きて対応した。
しかし、飲む作業さえ本人に負担になっているように思った。
そこで先生から
「痛み止めを注射にしてみましょうか?」
という提案があった。
抗がん剤治療のために身体にCVポートを入れていたのでそこから管をつなぎ、機械のボタンを押すと痛み止めが注入されるらしい。
珍しい機械?らしいが、お世話になっていた訪問クリニックではたくさん常備されているとのことでお願いをした。
(ちなみに何という機械か分からないので…ご存知の方教えてください笑)
さて、ボタンぽちぽちだけで
痛み止めを入れられるようになったが…
これまた、押さないのだ!押したがらない!
(手は痺れて動かせないため自身では押せないので、押してと言われたらこちらが代わりに押している)
正直、意識障害も出ていたので
本人のボタンの認識があやふやだったこともあるが…(通常の服薬と思っていたり、怖いものと思っていたりその時によって様々。)
本人の意識が混濁し、やり取りができない段階ではこちらの独断でポチッとしていたが(清拭の前に押しておくなど)
本人と話ができる段階では、勝手に押すことは憚られた。
本人が嫌だ、押さない!と言っているのに
押さないとだめだ!といって強行した父には疑問を抱いたが…
なんとも判断が難しいところである。
実際勝手に押したって変なことになる訳では無いが…
押した後の体、状態がどうなるかなんて本人にしかわからないわけで。
意思の尊重とか本人の意識とか
理解度とか実際の痛みとか
人権とは?みたいな話になる。
いろんな問題がある
余談ですが…
これは、自分の仕事にも似てるなと思った。私が毎日関わっている人たちは
所謂、知的障害者・障害児と言われる方々。
者だとしても、児だとしても
本人がどのくらい理解しているのかが分かりにくい。
本人の判断にどの程度任せて良いのか。
本人の意思の尊重もあるが、社会のルールからはみ出してはいけないし。
支援者によって委ねられる部分だ。
これをしたほうがいい!
するべき!普通はするよ!
知的に遅れがあるから、意識障害があるから私が判断してあげる!
が、エゴになっていない?それって結局言ってる本人のためだったりしない?
痛がる様子を見てられないから、痛み止めをしてほしいっていう気持ちが本当なんじゃないの?ってこと。(痛いなら素直に痛み止めをしたほうがそりゃいいのだけれど。)
本人がしっかり理解してない(と思われるから)こちらが判断しなければならないっていう方向に逃げてるのじゃないの?ていう。
一番は決めつけずに、いろいろな可能性を考えることだと思った。
わからないからこそ 想像を巡らせ想定し寄り添う努力をする必要があるのだ。
だからなんだって話ではないが
人間って難しいなって。だからこそ考えること止めてはいけない。
母を通して改めて感じたよ。
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