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母と過ごした2ヶ月半

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2022年8月。私は27歳、母は59歳。急に足が動かなくなった母は、ガンが脳に転移しており、余命1,2ヶ月と宣告される。私は仕事を休み、自宅で母の介護がスタートしました。母と過ご…
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2022年11月の記事一覧

29 たとえ明日、母が滅びるとしても私は母を保湿する

「この身体、どうせ焼かれるんだから もういいんだよ」 私が、母の身体に保湿クリームを塗っているときだった。 そんなこと言わないでくれよ、と思いながらも私は直ぐに返した。 「そんなの、みんな同じだよ。私だって焼かれるんだから。」 明日、母は死ぬかもしれない。 それでも私は母の身体を保湿する。 あれじゃん、ルターが言ってたやつ。 『たとえ明日世界が滅ぶとしても私はリンゴの木を植えるだろう』 同じことしてる、あたし。 でも、あたしだって、みんなだって 生きていたら明

28 ボタンをポチッとから人権を考える

母は、我慢強すぎる。 痛み止めにはオキノームを処方されていた。 (少量の水で溶かし、飲む粉薬) 痛い、というのでオキノーム飲む?と聞いても 「飲まない。」 「まだ、飲むほどの痛みじゃないから。」  と返ってくることがしばしばあった。 しょっちゅう飲んでしまうと効かなくなるから、ということ。 その代わり本人が飲むタイミングは 相当の痛みなのだろう。 夜中3時でも、朝の5時でも、 痛いといえば起きて対応した。 しかし、飲む作業さえ本人に負担になっているように思った

27 尿バッグしんどろーむ?

母は入院中に、尿のバルーンカテーテルをいれた。(尿バッグと呼んでいたので以下、尿バッグ) 退院後、600ml程出ていた尿も 1ヶ月後には半分になっていた。 水分摂取量にも寄るが、腎機能が正しく機能しなくなり、尿も徐々に出なくなるという。 「死ぬ24時間前には尿が出なくなるらしいよ。」姉が教えてくれた。 今日はまだ尿が出ている。ということは 今日も明日も生きる、大丈夫だ。 なんて安心材料にしていた。 尿関連でびっくりしたことがある。 1つは 紫色採尿バッグ症候群 だ。

26 コーヒーを1つ

「ちゃぴおは時には看護師さん、時にはカフェ店員だ。 一緒にいると飽きないよ笑 ちゃぴおと一緒にいる人は楽しくって幸せだね。死ぬの嫌だな。ちゃぴおと離れたくないもん。」 コーヒーを飲みながら、母は私に言った。 不意に言われた言葉だったが、 誰かの生きたい理由になれたことは私史上最大の喜びなんじゃないか? 母は突然泣かせに来るからおさえるのに必死なんだよ。 母が言ったように、私は家で看護師になったり(ハキハキした?話し方や敬語を使って看護師さんに似せて介護をしていたため)

25 THE ALFEE

母は、THE ALFEEの所謂ガチファンだった。 しっかりファンクラブ会員。 デビュー当時からのファンで 私も子供ころから車などで聴いているせいで 大体の曲は聞き覚えがある。 そして家族みんな一度は一緒にライブに行っている。 救急車で運ばれた日。 アルフィーグッズの発売日だった。 運ばれてもなお、 「14時から発売だからこれとこれよろしく!!!」 「アルフィーグッズ頼めた!?」 やれやれ、高見沢命である。 朦朧しているときだって、 「アルフィーラジオ録音した!?

24 「死ぬの、怖い?」

「死ぬの、怖い?」 私は母にたずねた。 死が間近に迫っている人に対して、なんて不躾な質問だ、と自分でも思った。 母はすぐに返してくれた。 「怖いよ。この世から自分が居なくなることが全然想像できない。」 そうか、そうだよな。 普通の答えだなと思った。 しかし、それが真理なのかも。 続けて私はたずねた。 「死んだらどうなると思う?」 「死んだら無になると思うよ。」 確かに母は、私が小さい頃から死んだら何もないんだよ、無が訪れるとか言っていたっけ。ブレてなかったみた

23 日常のイライラ

朝、起きて 母に今日の予定を伝える。 「10時にヘルパーさんが来るよ。午後は誰も来ないから大丈夫。」 すると 「ヘルパーさん嫌だ」 と、母が言い出した。 相性が悪い、というかヘルパーさんの技術が足りないようで (専ら高齢者を介護しているからか、病気についての配慮が欠けていた) あるヘルパーさんが担当になると体が痛くなったり、目眩が激しくなるようだった。 私は痛がっているところ、嫌がっているところを普段見ているので、 「今日は排便の日だったけど…痛いの辛いもんね

22 道端のコスモス

基本的に私は外出しない生活だった。 田舎だから、車が運転できないと大した買い物にいけないし。(絶賛ペーパー中)  しかし、今日は父も姉も家にいる。 一人で息抜きに少し散歩に出ようと思った。 外出の前に少しだけ母にたずねてみた。 「一番好きな花はなに?」 「コスモスかな」 コスモス!ちょうど売ってるかもしれないな〜 と思い巡ったが… 無い。 売っているのは菊ばかり。 おしゃれな花屋さんなんて近くにあるはずもなく。 しょんぼりしながら、とぼとぼ歩いていると突如

21 最後の家族旅行

滝に行く前日。 シンプルに、楽しみだった。 明日着る服 頓服、痛み止め たくさんのクッション たくさんのタオル ストローに食具 飲み物も取り揃えて 排泄介助に必要なものも そして母が好きなCD 車椅子でのおでかけで何が必要かはよくわからない。その分不足がないようにいろいろな物を取り揃えた。 加えて母が、どこかでお弁当を食べたい!というので聞き取り調査。【からあげと卵焼き】 は必須なようだ。 当日、調理担当の私は気合を入れて早起き。 正直、母の状態は良いとは言えなかっ

20 痛み

「滝見に行きたいなぁ、でも無理かなぁ」 母は言う。 母は何度か、滝に行きたいと言った。 病院の先生にもたずねたが後ろ向きな答えがかえってきたこともあり、私達も正直諦めていた部分もあった。 母は少しの揺れでも痛がりめまいが起きる。着替えの際の、仰向けの体を左右、横に向くだけでめまいが起きる。(なるべく動かさないように静かに行っていた) 頭に敷いている枕を少し動かしただけで痛みが走る。 いたい いたい いたい いたい いたい 悲鳴をあげるたびに、 私は心臓を掴まれたよ

19 焦る心

私は仕事を休むために、介護休業を申請した。 介護休業とは、介護対象者一人に付き最大三ヶ月間お休みをもらえる制度。 余命1、2ヶ月ということで目一杯の3ヶ月間申請を行った。 (お休み期間が短いのが介護休暇。) なのでこの期間はずっと実家に居て母のそばにいることができた。 ちなみに父も介護休業を取得していた。 姉はいつもは市内のアパート暮らしだがこの期間は実家で在宅勤務をし、実家に住んでいた。 問題は父だった。 私も姉もいるからと言い、毎日物置小屋の整理に明け暮れていた。

18 終末期の予習

看護師さんも先生も、訪問看護師さんも、訪問診療の先生も、死に向かうプロセスについて、案外教えてくれないものだった。 なんとなく避けてるような、気を遣っているのか分からないが、みんな揃ってハッキリ伝えない雰囲気を感じた。 私と姉は、母の予後を告げられてから【終末期】についてよく調べた。母が家に来る前から、動画やネットの記事を見て実際に目の当たりにするであろう事柄を予習した。 月単位、週単位、日単位、時間単位… せん妄…中直り現象… 尿の状態、呼吸の変化… Dr.Tosh