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占いと心理と真理。

最近思うこと。

私は極論、自分の内側と外側の世界は区別がないと思ってる。

ナゼかというと、自分が「現実」として理解している世界は自分の意識や認知、
それぞれの主観によってつくられてると思っている。

自分がどのように世界を見ているかで
現実は動いていくし、未来もつくられていく。

だから見方が変わると、

意識が変わり、

そして現実が変わっていく。

だって、意識が変わることにより何を見るかが変わるから。

面白いことに、自分の見ている世界、見えている世界が全てではない。
なぜかというと同じことを見ていても、同じ経験をしても、
人それぞれ感じ方や物事の捉え方が違う。
目の前に起こっていても、存在していても、
その人の意識がそこに注目してなければ、究極は排除され、
その人の中では起こっていない、存在していないという理解になるかもしれない。

人間は無意識の中で何かを排除したり、フォーカス当てたり、勝手にフィルターがかかっているから、言ってしまえばカメラのレンズがとらえてる情報量の方が私たちが見えてる世界よりはるかに多いかもしれない。
カメラのレンズだって視野にリミットがあるのに、、
そう思うと、個人の見ている世界は真理のほんの一部で、なんて偏ってるんだろう。

そして、私もだけど、みんなそれぞれが
考え方にクセやパターンを持っている。
私は以前セラピーを受けたことがあったけど、
セラピストはクライアントの話を聞くというスタンスだった。
世の中には色々なセラピーのスタイルはあると思うけど、
私が体験した、本人が自分で自分を導くまで待つという姿勢が私には物足りなかった。
それはセラピストの主観が入ってはいけないからということなんだと思う。
でも、グルグルしているところから抜け出して前進したいという時、
自分の思考のクセや視野の偏りにより、自分の力では自らを救い出すことが難しいこともあると、その時セラピーの限界を感じた気がした。

私が感じるに、占いというのは自分の意識を見せてくれて、違う視点から見ること、一歩引いて客観視できる場や自分だけでは思いつかなかった選択肢、ヒントを与えてくれるツールだと思っている。

昔は気にしたけど、
最近は占いは当たる、当たらない、良い悪いではないと思っている。
そこがポイントではなくて、新たな視点をポンって意識に入れてもらえることで、
その瞬間、意識が変化する。
そして、「今このような状況になってますが、さて、どうしますか?」と
意識に問いかけ、より建設的に考える方向に後押しし、
一緒にベストオプションを考えてくれるツールのような気がする。

もちろん読む人の感性や実力というものがあるのかもしれない。
流派とかによって、考え方の違いもあるけど、
重要なのはそれによって起こった意識変化という事実。
良い悪いで区別しようとするのは人間の思考だけで、
結局は別の角度や視点から同じことを意味しているのだと思う。

例えば、食べ物をいうのは、
飢えを感じてる人にとってはとてもありがたいことだけど、
お腹いっぱいで今にもはちきれそうで苦しい人にとって、
更に食べ物を提供されるのは迷惑かもしれない。

だけど占いはそこが面白くて、
全く説明がつかないのだけど、
いわゆる、卜術と言われいてるものでさえ、
シンクロニシティーが起こったりするから深い。

よくわからないnoteになってしまったけど、
占いは有効活用していけば、
決していかがわしいものなどではなく、
人生をより深く、より豊かなものにするツールだなとますます最近感じている。



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