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『総100億有名人化計画』。評価経済の次がもう来ているに、キミらはまだ気づかないのかい?『個性経済学』の台頭。

世間のパラダイムの理解力の遅さに大分呆れてしまう。

 これから先、今起きている価値観が180度ひっくり返ることが起きるのに、どうしてまだ誰も気づいていないんだろうか?

 それとも、俺が予測を見誤っているのか?

 そんなことは、ない。きっと俺の予測は当たっているはずだ。なぜなら、ヒカキンの茶番、有名人たちの自殺群がソレを如実に物語っているからだ。

 単純に結論を言いのけるのならば、有名人はほぼ確実に消滅する。

 芸能人のユーチューヴ流れなぞなんのことは、ない。自滅行為である。

 これからは、有名かどうかでマクロによる商売はなくなる。ミクロ・ビジネスかミクロ×ミクロのビジネスでしかなくなる。今の第3次産業が強すぎた時代が変だったのだ。緩やかに、SNSのあり方は大幅な変更を余儀なくされるだろう。

 説明をしよう。

 ヒカキンはお菓子をレビューするだけで人気者で、星野源の歌の大半はパロディーばかりであり、もはや本物が売れる時代ではなくなっている。むしろヒカキンや星野源になるのは、実力では交換可能な人材がたくさんいるので、運の勝負であって、むしろ期待値で見た場合に、ヒカキンと星野源に憧れるのは、罠である。実力で見た場合、あのレベルはたくさんいるだろう。

 そして、有名人の相次いだ自殺は、結局のところ、あまりにバカなマクロに有名になるのは、炎上や過度ないいね集めの呪縛といった対人監視のデミリットの方が大きくなってきている。有名になることは以前必要だが、有名になりすぎることは、もはやビジネスとして成立し得ないのだ。

 逆に言えば、素人の我々、何の才能のない今この文章を見ているであろう凡人にも、この時代の変化を利用すれば、チャンスがあるだろう。気づけ。俺とタッグを組まなくてもいい。ただ俺の教えた知恵で、次の時代をもっと有効的に楽しんでいきたいと思わないか?

 実力ももはや差をつけれないし、有名になりすぎることも、損ばかり。

 ってなると、強烈なミクロで強い有名人の時代がやってくる。アイスを食べる事が姿がうまいだとか、ガリガリくんに関しては詳しいだとか。ヒカキンはただお菓子という工夫もない平凡なことをやってのけるだけだったが、これから先は、かなりニッチな奴らがたくさん湧いてきて、有名人の民主主義化が成立する。

 もはや実力を盛ってきた有名人たちに依存しなくても、小さな教祖になった方が精神が安定するし、需要がある。

 俺がユーチューヴァーとして有名人の問題を鋭く見抜くのも、旧来のユーチューヴァーは実力を盛る形でしかビジネスが成立し得ないからだ。簡単なことで、未来から逆算し、実力を下手に盛らないポジションから彼らを観測すれば、ロンパなぞ簡単だ。

 俺は次の現象を、評価経済学から個性経済学だと提示したい。評価経済は、マクロの評価、他人を気にする。他人ありきのゲームだった。だけど、個性経済学は答えを見つけるのではなくて、いかに自分から答えを作っていくかだ。これからは、他人のいいね集めをするので限界が見えてきていて、自分からいいねを創造する時代へとスライドしてきている。

 トランプやネット右翼の現象はなんのことは、ない。大学のリベラルから権威をいただくという旧来の評価経済システムが単に破綻、形骸化、象徴のブランドだけに完璧になってきて、「反発」にまできてしまったことだ。結局、学歴だよねぇっていうゲームは別に構わないが、みんながソレをやるように、気づくようになったら、流石の威厳もなくなり、大学院などはもはや自滅を辿る他ないだろう。というよりも、大学自体が会社の天下り先として回収されるだけであり、フツーの会社勤務ともはや変化はなくなる。

 いいね集めに意味がなく、当然、わるいねにも意味は、ない。

 大事なことは、個がしっかりと機能していて、良いところをちゃんと発見できるかどうかである。

 もちろんこの議論は、今後の予測であり、穴はまだある。だが、ここになにか予測が外れていようと、なにか、ヒントがあるように思える。

 読者よ。俺は評価経済社会の有名人たちのように信者ビジネスで、君という他者へ依存、洗脳するつもりは、ない。ただ俺は道具を与えただけ。トリガーを与えただけ。

 肯定も否定も君次第だ。ただ俺は、楽しみなんだ。なにかここに面白く生きるキッカケが書かれている気がして。


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