見出し画像

美と形成外科と美容外科の巻

美の価値や観念は人によるから、
「美」とはこういうことだ!
といったハッキリした決まりや定義はないらしい。
「美」を色々とググったら、
顔中に安全ピンを刺している人とか、
タトゥーやインプラントで爬虫類のように変身している人を見つけた。
フランケンシュタインに2択を迫られたら、
どちらにしよう。
フランケンシュタインは、顔がツギハギの怪物を創った博士の方の名前
どちらも職質されるレベルだし、
それなら爬虫類姿の方が、振り切って解放度が高そうだ。
でも、つまはじきにされたら、
あの怪物と同じように、
同じ姿のもう1人を創ってほしいと
博士に懇願するだろう。
望まない異形であることも、
望まない孤独になることも、
とても苦しいだろうと思う。
フランケンシュタインの作者は18歳だったらしい。
どんなエピソードや、感性を持っていたのだろう。。。


看護師は知的労働者であり、
肉体労働者であり、
感情労働者でもある。
 形成外科病棟で勤務していた時は
感情の疲労度合いが高かった。
(「形成外科」とは生まれつきや事故や病気による、機能の不便や見た目を治療するもの

 検温のためにドアをノックして開けるなり
狙って味噌汁をぶっかけられたこともある。
やり場のない怒りのエネルギーがそうさせるのだけど、
熱さと、哀しみに泣けた。

ガンで乳房を切除した若い患者さんに
「見せつけないで!」と叫ばれたこともある。
裸で踊った覚えはない。
病棟で1番背の高い私の胸の高さは、彼女の視線のストライクゾーンだったらしい。
私の歳が近いせいもあるだろうと分析し、
ケアのひとつとして彼女の看護チームから外れることになった。

看護師の仕事のエピソードとしてここまで書いてみて
世の中のどれほどの人が、
人様に味噌汁をぶっかけられたり、
若い女性に「胸を見せつけるな!」と罵倒されたことがあるんだろうか、と
ふと思う。

形成外科は、
機能的、外観的に治療するキュアの他に、
ボディイメージ(「体」に対する自己概念)が変わることで痛む 心へのケアも重要となる。
(ざっくり、キュアとは「治療する」こと。ケアとは「癒すこと」、かな


少し古いけど、
今50代の私が小1の頃、「ギッチョだね(左利きを少し差別的にギッチョと呼ぶ)」
「しつけが悪い」「ギッチョがうつる」なんて、囃し立てられたことがあった。
子どもがそんな知恵をつけるのは、
大人が陰でそう言うからだ。
ピンクレディーの「サウスポー」が流行して、一躍イメージ逆転、
カッコいいと言われ始めたが、
人とは違うという理由でさげすまれた感情は孤独感として刻まれた。


現代の医療は、病気を治療するだけでなく、
クオリティオブライフ(QOL)・・・人生そのものを美しく生きるための治療を大切にする方向性だ。
超高齢化や、なにわともあれ平和な世の中だからだと思う、

「美容外科」は形成外科の治療レベルというよりも、
より良い人生のための美へアプローチする。
色々なことを教えてくれた形成外科部長は、
その後クリニックを開院し、
「形成外科・美容外科」の看板をあげた。
自費診療の美容外科は、
当時はもっと高額だったけれど、
普通の生活レベルの人が来れるように
お手軽な値段でやりたいとの理念に惹かれて、誘われるまま雇ってもらった。

 今でも年に1、2度 会いにいく。
私は顔にレーザーを当ててもらうお客できているのに
「シワが増えたな。注射するか?」と、スッピンの私のシワをムニッと引っ張る。
「いや、このままで。終わりがないし。」


ご自身のアンドロイドを創られた某先生は、
自分をアンドロイドに寄せて、
常にシワとりの注射をしてるとかしてないとか。

QOLの価値や観念も、人による。
孤独にならない生き方も、
在りたいように1人で在るのも
自分の美学で決めることができるのは、
幸せなのだと思う。


*書き足し*
整形外科とは、骨や靭帯、筋肉に対する治療であり、形成外科とは違います。
整形外科医は、相手が間違えて「ケイセイゲカ」と言おうもんなら、
鼻を膨らませて「セーケーです!」と訂正させます。
仲が悪いわけじゃなくて、それぞれのプライドがあり、
患者さんの治療のためには、タッグを組みます。

今回は太字の多い記事でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?