なんで私はメンヘラになったのか

とにかくちっちゃい時から母親と喧嘩してた記憶しかない。

母は「同調すれば優しいが、そうではないと罵倒する」ような性格で
小さい時から私は母の機嫌を伺っていました。

大人になってから「愛着障害」という言葉を知人から教えてもらい、母親と幼児が築く関係性がいかに大人になってからの人格を左右するかを知りました。

全てが母のせいと言いたげですがそうではなくて、その裏にもさらに事情が山のようにあったのでした。

私が生まれる前から父の母(姑)と母(嫁いできた嫁)は、もうすでに仲が悪く、いじめが発生していた。
その時点で逃げればよかったのだが、母は私を出産してしまった。意味不明です。
そして、私から見た祖母の悪口を永遠に幼児である私に聞かせ続けたのである。ちなみに、今も嫁姑関係は解決していません。
誰も祖母の面倒は見ておらず、一人で暮らしています。

物心ついた時の残っている一番古い記憶で「あれっ?」というのだと、小学一年生の時に大雨の中何故か傘を刺さずにあえてずぶ濡れで帰ってきて、小6の近所のお姉さんに心配してもらっていました。うーん。なんかこの時点で既に怪しい雰囲気がある。心配してもらいたかったんだろうな

あ、思い出した。私は4歳で家出してるんでした。
隣の家に上がって「ここのうちの子にしてください」!と土下座したのを今でも覚えています。その時点でメンヘラ確定だった気がする。4歳でこの親じゃダメだって気付いたってことなので。

で、決定打になったのが小学5年生のときに父親が統合失調症になったことです。
それまでは「この人(母親)のことはどうでもいいや、自分のことだけ考えて生きていこう」が出来ていたのが、「お母さんのことをみんなで助けてね」になり、逃げ出せなくなりました。

私は音楽に没頭することで現実から逃避していたので、吹奏楽部がある中高一貫校に受験し、合格。塾にも行けてたからこの頃は多分まだ鬱じゃない。
社交不安障害を自覚したのはその次の年で、中1で弁論大会に出た時のこと。
クラスメイトの前で発表の練習をする機会がありました。私はそこで滝のように大汗をかき、男子に「可哀想なくらい汗かいてるね!(原文ママ)」と言われ、私は他人より汗をかくのかもしれない、緊張しやすいのかもしれない…と自覚したのである。

思えばその歳に例の「ブスっ!」事件(自分がブスであることを自覚させられた事件)(詳しくは前の記事を読んでね)も発生していたので、この学校来ない方が良かったのかもしれない。本当に。
母校に良い思い出が本当に一つもありません。

それでもなんとか中学の3年間は音楽に逃避をしメンヘラにならずに生きましたが、バックグラウンドでは嫁姑戦争、糖質親、母との不仲、そんな母に父の悪口を言われる、父とは密なコミュニケーションが取れない(ロボットみたいな性格になってしまったため)、自分の勉強、スクールカースト、とか色々あり、
高校生になった頃には既に足を切っておりました。
だいたい母親との言い合いになった時に「自分が我慢すればいいんだ!!!!!!」という一心で怒りを足の甲にぶつけていました。
でも、「本物のメンヘラは構ってほしいから手首を切るんだ。だから私はメンヘラじゃない!」
と自分のことは健常者だと思い込んでいました。
今思えば立派なACだし愛着障害だしひねくれ過ぎてて草なんですが…

高校生くらいから希死念慮が出てきて毎日住んでいる部屋のベランダから飛び降りる妄想をしていた。しかしここで私を生かしてくれたのがL'Arc〜en〜Cielであった。だからラルクは命の恩人なのだ。

あれですね、こうやって記事にしてみると心の親という親はL'Arc〜en〜Cielでだいたいの不和が親との不仲から来ている気がする。どうしようもないんですけどね

なので親から早く逃げたくて、とにかく東京に行きたくて仕方なかった。東京に行けば全てがどうにかなると思っていた。浅かったなあ。
今思えばそこで国立大学に行く努力をして親から自立した方が遠回りでも親から離れられたのだが、それは大人になって色々経験したから分かったことであり、その時は一刻も早く親から離れたかったのだ。
なので短期大学にしか行けない代わりに東京で寮住まいをすることになった。
↑本当にここで判断を間違えたなとずっと後悔している。

でもなぁ、親に「親と離れたいからどうしたらいいか」なんて訊けるわけないし、本当にどうしたら良かったのか分からないよ。親以外に心から信用できるスクールカウンセラーがいれば良かったね。



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