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読書記録24 『はじめての構造主義』

橋爪大三郎『はじめての構造主義』
(講談社現代新書 1988年)

なぜ猫は、わざわざ邪魔をしに来るのだろう?


ポスト構造主義について少しだけ予習をしてから読んだけども、もちろんこの本も歯ごたえがある。

売れまくっている『現代思想入門』や倫理の教科書をかたわらにおきつつ読み進めることとなった。

橋爪さんは、
「レヴィ=ストロースは、主体の思考(ひとりひとりが責任をもつ、理性的で自覚的な思考)の手の届かない彼方に、それを包む、集合的な思考(大勢の人びとをとらえる無自覚な思考)の領域が存在することを示した。それが神話である。神話は一定の秩序‥ここの神話の間の変換関係にともなう〈構造〉をもっている。この〈構造〉は、主体の思考によって直接とらえられない不可視なものなのだ。」と最後にまとめる。

以下は、自身が気になった点。

1、文化人類学者として、親族研究から神話学へと研究対象を変更して行ったレヴィ=ストロース。(それと共に、人類学の系譜、通史のようなものも示されていた。歴史主義、伝播主義「未開社会から西洋近代へ進歩していく」→機能主義「現地調査を重視。習慣、制度、宗教が密接な関係をとる=機能」→構造人類学「ブルベキ派の構造概念をそのまま神話の領域に持ち込んだもの」)

2、人類学、哲学、思想という文科系ではあるが数学の切っても切り離せないということ。(もちろん、レヴィ=ストロースの構造主義をささえるのはソシュールの言語学、ヤーコブソンの音韻学、モースの贈与論。それに加えてフランスの数学者グループブルベキ派の支援が大きいこと。)

3、もちろん、有名な考えである「未開社会における思考様式が原始的であり西洋社会の進んだ科学的思考様式に優劣がない。つまりは、どちらにも規則性を持った普遍的な体系=構造がある」こと。

わからなさすぎる…。

数学的なものは残念ながらハードルが高すぎるので次はソシュール、モース。レヴィ=ストロースの原本にあたろうかと思う。

1988年の文章ではあるが、橋爪さんはシニカルに構造主義もよくわかっていないのにポスト構造主義が日本でブームになっていることについて書いている。(ぶつかりあいもしないのになぜポストがでてくる。まずは構造主義が流行って…。それにアンチの次がでてくるはずなのに)

新しいもの=いいもの、かっこいいもの
日本人の悪いところかどうかは置いておくとして、習性だ。すぐに飛びつく。

そもそも、
クールなもの、良いもの=新しいもの。
古いものより新しいものがよいとされるなら、構造主義やレヴィ=ストロースの考えなんて1ミリも理解できていないなと、くすっと笑えてしまう。

化学、科学の進歩は哲学や思想分野にも大きな影響を与え、社会を大きく変化させる。(私自身その進歩が人文科学分野と関係ないものとして捉えがちであった。決めつけがちであった。)歴史もシャーマン的な力で支配をすることに無理がでて、さまざまな構造(いや、この場合は機能主義の機能だな)が生まれてきたじゃないか。

借り物やブームでは、日本の考え方が生まれ根付くことは難しい。橋爪さんは、自前のモダニズムが生まれていないことを問題視というか、「がんばれ」という。

文章にしてアウトプットすることで頭がほんの少しだけ整理できたような気がする。しかし、まだまだわからないことだらけだ。

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