見出し画像

【連載】私の妻は元風俗嬢⑧

 筆者は愛護精神に富んだ人である。犬や猫は当然、キリンや象、ハトにいたるまで全ての生き物を慈しんでいる。生き物だけでなく、一度関わったものは全て愛する。賞味期限の切れた食品、読み終わった雑誌、サイズが合わなくなった洋服まで全てを愛している。愛しているが故に捨てられない。しかし、恋や愛も捨てられないと時に自分が傷ついてしまう。筆者にはたくさんの傷が付いている。心にも体にも。しかし、それこそが筆者の愛の深さの証左である。

第8話 掃除と侵略

 「おつかれ~」。疲れているにきまっている。深夜の2時である。そんな時間にたくさんの男性を相手にして財布をパンパンにしているヤンキーが家を訪ねてきた。筆者の自宅は保護施設ではない。公的援助は受けておらず、利率14.5%のカードローンによる民間の支援しかうけていない。セルフギャンブル依存症離脱施設である。

 唖然としていた筆者を尻目に、妻はキティちゃんのナイロン製のランドリーバッグをどかんと部屋に置くとタバコに火をつけた。自分でタバコを吸ったにもかかわらず「タバコくさいから窓開けて」と独り言のように言うと、勝手に風呂場に向かったのである。あまりに突然のことに筆者は開いた口がふさがらなかった。キティちゃんがこちらを見つめていた。ヤンキーはなぜキティちゃんが好きなのだろう。そして、「泊まっていいよ」といっただけなのに4日分はあるであろう着替えをもってきたのだろうか。筆者は思念の海の中に沈みながら眠りについた。

 翌朝、夢であってくれと祈りながら目を開けると、やはり入れ墨だらけのヤンキーが眠っていた。筆者はシュレッダーを片付ける仕事にでなくてはならなかった。すると、妻はとんでもないことを言った。「カギ一本置いていって」。筆者は必死に抗弁する術を考えたが見つからなかった。筆者が仕事に行って、カギが無いとなれば、きっとこの女はカギを閉めずにどこかに行ってしまうだろう。筆者の家にはたくさんの重要書類や山のように積まれた週刊少年ジャンプ、何日か前に賞味期限が切れたチーズなど宝の山であった。もし誰かに踏み込まれたら大変なことになることは請負だった。仕方がないので、合鍵を渡すと、妻はまた眠りについた。

 横で眠る妻を尻目に、出勤した。シュレッダーを片付ける仕事を終えて帰宅した。ひょっとしたらもう帰っているかもしれない。そうすれば荷物を家に置いて、筆者は酒を飲みに行く算段だった。筆者は酒が大好きであった。酔っ払うと、とても自分が大きい存在になる気がした。なので、筆者は毎日借りた金を財布に入れて、周りの若者に酒をおごっていた。自分で未来への投資と呼んでいた。投資先のやつらはスケボーを乗り回していつまでも定職に就かないのであった。

 しかし、帰宅すると目を疑うような光景に出くわした。筆者の部屋がキレイになっていたのである。マスクをつけた妻が部屋を徹底的に片付けていた。筆者の数少ない自慢でもあるDJブースには仕事用の書類が山と積まれており、書類が保管(放置)されていたスペースには妻の化粧品がぎっしり詰まっていた。冷蔵庫の中のチーズは全て捨てられて、キレートレモンが薬局のように陳列されていた。週刊少年ジャンプなどは跡形も無かった。

 本来であれば喜ぶべき状況であろう。1円も支出すること無く部屋がきれいになったのだから。しかし、筆者は暗澹たる疑問をぬぐいきれなくなった。そして、妻のひと言で、疑問は確信へと変わる。

「お帰り」

 完全に住む気である。筆者は宿泊こそ許可したものの、同居までは許可していない。そもそも、風俗嬢と同居などリスキーが過ぎる。筆者は確かに仕事はできない。しかし、それなりの大学を卒業し、有力企業に就職していた。父はたたき上げで財をなしていたが、筆者はその力によってエリートの立場を欲しいままにしていた。筆者が付き合う女性は「資格持ち」が多かった。例えば、医師や看護師、管理栄養士などと交際していた。それなりの教養と社会的立場が筆者の女性を選ぶ基準であり、たしかに彼女の人生を何とかしてあげたいとは思っていたが、責任を負うつもりは全くなかった。しかし。妻は純粋であった。まるで落語家の弟子に入るように、前座見習いが師匠の自宅の世話をするように、妻は筆者の部屋を片付けていた。大きく違うのは、明らかに1箱は吸ったであろうタバコの空き箱と吸い殻が残されていることだった。

 「よくこんな家で住めると思ったね。片付けててめちゃくちゃイライラしたわ」

 マスクを取るなり、罵詈雑言を浴びせてきた妻は風呂に向かおうとした。そして筆者が仕事の疲れを癒やそうと風呂に入らないままベッドに寝転ぼうとすると、ワンルームに駆け戻り、右ストレートを腹部にたたき込んだ。「汚いからやめて」。筆者はわき上がる怒りと焦燥感に葛藤しながら「はい」とひと言いって、ベランダでたばこに火をつけた。そして、妻に「付き合うのはやめよう。お互いに色々期待するとよくないとおもうから」と窓越しに言うと、妻も「当たり前じゃん」と吐き捨てた。

 妻がまたドタドタと風呂に向かう。筆者は夜の町を眺めながら、「まぁ一人で住むよりかはマシか」とひとりごちた。同棲初日の夜は静かに更けていく。


#連載 #日記 #ブログ #エッセイ #小説 #私の妻は元風俗嬢

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?