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そんなことよりも背筋を伸ばして歩けって話

※本稿では個人の私見を述べるため、平時の連載とは文体が大きく異なります。また、本稿で述べる意見については、私の国籍や所属する組織などとは一切関係が無く、あくまで私見であることあらかじめご了承下さい。

 「あまつぶさんの奥さんって“プロ”なんですよね?」

 先日、初めて会う会社の後輩に初対面でこんな質問をされた。「プロ」とは「風俗嬢」であることを指していることは間違いない。

 私は会社で妻の職業を隠していない。なぜなら、交際の時点で同僚に「風俗嬢が家に住んでいる」と軽口を叩いたことをきっかけに、一気にそのウワサが広まったからだ。大卒以上に採用を限り、高収入の我が社においては、そうした経歴の女性と交際すること自体が珍しかった。だから、全く別の部署の会ったことも無い後輩に、そのようなウワサが回っていることは想像に難くなかった。

 ただ、単純な疑問ならまだしも、そこには「なんでそんな女と結婚したんですか」と聞きたそうな彼の姿勢には辟易とした。私は「風俗嬢だから」彼女と結婚したのではない。もちろん、出会ったキッカケや当時の状況を考えれば、知り合うには彼女が「風俗嬢である」ことが必然だった。しかし、そこから交際し、同居し、結婚するときに彼女が「元風俗嬢」である必要はなかった。ただ、自分の生涯の伴侶として選んだ相手だった。

 ただ、大学を卒業したばかりの後輩にそのことを説明しても理解しうるわけもなかった。(恐らく)有名大学を卒業したであろう彼にとって、風俗というのは「性を消費」する場に他ならず、風俗嬢というのは性消費の対象にしかすぎないであろうからだ。

 だから、「そうだよ」とだけ答えた。後輩は「へぇ~、ヤバイっすね」とだけ言ってたばこに火をつけた。


 NIKEのCMが話題だ。内容は割愛する。ただ、それによって様々な議論の種がまかれた。最も興味深かったのは「日本に差別はあるのか?」という論点だ。

 「世間」はその集団から離れたものを許さない。じゃあ、その集団を囲っているものは何か。

 最も強力な囲みは「法律」だろう。社会は「これをやったらダメね」というルール(=法律)をつくって世間に共有した。世間は従順だから、このルールを守る。このルールを守るために警察とかを作る。秩序を守るためには必要なものだ。

 ただ、近年になって力を増してきた囲みは「常識」だ。これは「法律の範囲内なら好きなことをやっていい」という人たちを律するために世間でなんとなく共有されているものだ。常識はときに形式主義で嫌われることもあるが、法律を変えたりするのに役立っていると思う。「たしかに法律では禁止されていないけど、薬にこの成分使ったら体壊れるよね(=危険ドラッグの禁止)」とか。

 でも、これが結構やっかいだ。法律は明文化されているから、世間が共有できるけれど、常識は明文化されていない。阪神が好きな人もいれば、巨人が好きな人もいるのに、みんなで「当たり前」を論じるのはとても難しいと思う。


私ごとに置き換えて考えてみたいと思う。先日、私は10年来の友人から絶交を言い渡された。私が友人の発言に激しく抗議したからだ。

友人は私たちに「お前たちはやばいからな。子どもも、遊び方とかヤバイし」と言ってきた。彼にとっては軽口だったのかもしれないが、私にはこの発言がどうしても看過できなかった。

先に登場した後輩のように、私や妻を「ヤバイ」とするのは納得がいく。会社という限られた「世間」の中では、妻の属性は明らかに「常識」を逸していた。(それ自体がどうなのか、と思うところもあるがとりあえず飲み込んでおく)

でも、子どもまで「ヤバイ」とするのはどうだろうか。2歳児の遊び方に優劣があるのだろうか。一晩考えたが、どうしても納得いかなかった。友人は明らかに私や妻の属性を娘にまで適用していた。私は納得いかなかったし、彼自身にも理解して欲しかったので激しく抗議した。すると彼は10年間の友情を放棄した。「お前とは付き合っていられない」と。


 おそらく、我々は「半径50メートル」の人間だけで世間の常識を決めたがる。

 これは鈴さんのエントリーにもあった。
https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a
 加えて言うと、社会学では割と基礎的な知識として学ぶ。

  だから、ある人から見れば、もちろん差別なんて存在しない。それは育ってきた環境や世間によって大きく変わるだろう。お金持ちで小学1年から超有名進学校に通っている子どもから見れば、学校で教員に対して物を投げつけて怒る児童の存在は認識しづらい。その逆も然りで、腕っ節だけが自慢の不良の世界で生きてきた中学生に、理科の実験で世界を変えようとしている「陰キャ」の情熱は理解できない。

 そして、理解する必要もないと思う。だって、自分が思ったように生きればいいし、そうじゃない社会なんて、クソだと思うからだ。私は、彼女と出会う前に戻っても、また彼女を指名し、彼女と結婚するだろう。別に会社で何と言われようと、親になんと言われようと、私は自分が好きになった相手と結婚する。好きなものを食べる。好きな音楽を聴く。

 重要なのは差別があるかないかということで「国」を論じるより、自分はどう思うかということを語るべきだと思う。

 やっぱり、海外にルーツを持つ人々が「嫌な思いをしている」と言えばそこに傾聴する必要がある。その上で「いや、それは国籍とか関係なくね?」「あーそれはやばいな。なんとかしなくちゃ」とかそういう議論をすればいい。だから国籍とか人種とか国とかそういうデカいくくりで物事を判断することを、私はやめたい。

 妻は妻。元風俗嬢でもあるし、不良でもある。だけど、それは属性にすぎなくて、目の前にいる一人の妻の全てを説明できないから。

 だから今日も私は、背筋をシャンと伸ばして歩きたい。きっと足は疲れるだろうけど。

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