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ダメ社員、昔を思い出す。

 noteを初めてからというものの、自分の私見をひけらかすということに熱中している。とにかく楽しい。自らの身分や外見を隠し、言いたい放題言うというのは心から楽しいことである。
 そして、勢い余ってinstagramも始めてみた。主に泣きバナナ(※愛娘。最近、マママママと奇妙な言葉を連呼する)を自慢するためだった。泣きバナナの魅力を世の中の皆さんに知ってもらうために、アカウントを開設し、電話番号と同期する形で一気に友達の輪を広げた。

 するとどうだろう。どんどんと中高の同級生の恥ずかしい姿が出てきた。売れない芸能人になった者、ただのフリーターなのにバイト代を貯めて沖縄でスキューバダイビングをやって「島暮らしが夢」といっている者、30手前にもなって何の役にも立ちそうにも無い異業種交流会に出席している者。そんな姿を世の中の皆様にさらして何が楽しいのかさっぱり分からない。よっぽど、泣きバナナの下の歯がどんどん伸びていることの方が有益な情報に思えた。

 しかし、ある1枚の写真を見て、スクロールする手が止まった。高校の時にとても仲の良かった友人が結婚していた。彼はとてもじゃないが女性と上手に話せるタイプの人では無かった。大学に行ってからも一月に一度くらいは顔を合わせて酒を飲み、就活も共に文句を酒で流し込みながら頑張ってきた。そんな彼が知らないうちに結婚していたのだ。その写真には筆者も顔見知りの高校の同級生たちのたくさんの笑顔が映っていた。中心には、彼が座っていた。

 筆者は結婚式はおろか、結婚したという話も聞いていなかった。たしかに、転勤を重ねて6年ほどは会っていなかった。彼も大学を卒業後は故郷を離れて暮らしていた。それほど筆者と状況は変わっている様子もなかったが、いつの間にか結婚して、家族を持っていた。でも、彼が薄情な訳では無い。筆者も彼に対して結婚したことを報告するのを忘れていた。

 筆者の通う高校は非常にデキの悪い高校だった。進学するといっても名前が書ければ受かるような大学ばかりで、半分は専門学校、半分は大学に進学する。進学先を卒業しても目標としていた職業に就く人間は少なく、大学時代に遊び呆けていて、就活も振るわず、厳しい環境で働くくらいならフリーターになろうという人も少なくなった。

 筆者は勉強ができたが、彼は勉強ができなかった。結果的に筆者は我が高校からは初めての有名大学に進学した。彼は地元の大学にとどまった。それでも、二人には夢があった。そして、筆者も彼も互いに夢を叶えた数少ない同級生であった。辛いときもあったが、安酒を交わしながら「ここまで来たんだ。もう引き返せないよな」などとドウェイン・ジョンソンのようなセリフを吐きながら、繁華街を闊歩した。

 どうやら彼は卒業後も地元に帰り、友人たちと親交を温めていたようだった。今、生活を構える場所には家を借りて、家族を作り、週末は友人たちとバーベキューなどを楽しんでいるようだった。そこには、誰とでも親しく話し、真摯に傾聴し、優しく笑う彼の笑顔があった。高校、大学と筆者が心を許した彼の姿がそこにはあった。

 筆者は少し寂しい気持ちになった。自分の暮らしに必死になりすぎて、周りの人たちの近況を気にかける余裕もなくなっていた。その結果、とても大切な友人の門出を祝う場所に呼ばれもせず、もう6年もの月日が流れてしまった。でも、筆者も必死に暮らしてきた。彼も必死に暮らしてきたのだろう。流れた年月は巻き戻せないが、彼の変わらぬ姿に少し心が救われた。

 彼のアカウントをフォローしてみると、すぐにフォローが帰ってきた。電話やラインは鳴らなかった。そしてすぐに、彼のアカウントから泣きバナナの写真に「いいね」がついた。

 2人で飲んだ安酒と翌日の二日酔いが「いいね」に変わった。俺もアイツも、もういい年になったんだ。


#日記 #エッセイ #ブログ #同窓会 #コラム #私の妻は元風俗嬢

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