見出し画像

東日本大震災から9年。岩手県釜石市鵜住居にいったお話。スタジアム・宝来館編

はじめに

 2020年もついにあと一日だ。来年は東日本大震災から10年の節目の年だ。それでというわけではないが、今年の3月に岩手県釜石市鵜住居町にいってきたので、それについてまとめておく。

東日本大震災から9年。

2020年3月11日。東日本大震災から9年が経過した。当時の私は高校1年生。
岩手県内陸で地震を経験した。春休みの補講期間で、授業を受け終わり、ホームルームの時間だった気がする。突如誰かの携帯のが鳴り、「誰だ携帯いじっている奴~」みたいなニヤニヤが教室に広がったときだった。一瞬で強い地震だということに気づいたが、その揺れは全くおさまらず、これまで経験したことのない猛烈な揺れだったことをいまだにはっきり覚えている。

 このときはじめて知ったのは、机の下に隠れるだけではなく、机の脚をしっかり持っていないと、強い地震では机が吹っ飛び、頭を守ることができないことだ。

 地震発生から1か月後の4月。ガソリンの供給も安定してきて、家族で陸前高田を訪れてみた。生と死の、津波の被害を受けた地域とそうでない地域をハッキリと分けたがれきの境界線もいまだにはっきり覚えている。そして窓を開けると漂う違和感のあるにおいも。。。

 震災以降沿岸を訪れる機会が格段に増えた。特に陸前高田には何回も足を運んだ。

 ただ今年は震災から9年が経過し、無料高速道路も整備されたこともあり、今年は釜石を訪れることにした。

 マス・メディアが釜石の奇跡について異様な報道を繰り返していたが、そのことはあまりかんけいない。まして、ラグビーワールドカップの会場が設置されていることも関係ない。結局試合できんかったのにあれどうすんだ。

釜石市鵜住居町周辺の地図

画像1

鵜住居「復興」スタジアム

 住んでるところから1時間半ほどで釜石北インターでおりて鵜住居に到着。降りたところから海に向かうと、ありました。ラグビーワールドカップ2019の会場となった鵜住居のスタジアムが。

画像2

画像3

 天気は快晴!気持ちいい眺めだった。駐車場にはレンタカーを借りて東北めぐりでもしていそうな学生や出張中の公務員と思しき人が3人ほど。あと車内でずっと動画見てる地元にだれか(笑)イベントがない時は、ほんとに誰もいないところなんだと思った。地元の子が遊んでるわけでもなく、それが少し違和感を覚えた。

知っている人は知っているが、この復興スタジアムはラグビーワールドカップ2019の会場として作られたものの、台風の影響で予定されていた試合が流れたことで、ほとんど使われることはなかった。芝はキレイだったが、臨時増設された観客席は取り外され、異様にキレイな観客席。使われなかったスタジアムだけがぽつんとたたずんでいる。

そして、このスタジアム横には、津波の際に非難する高台があったようだが、台風によってがけ崩れが起きていて、現在は使うことができない。

震災から9年。まったく使われることがなかったこのスタジアムを「復興」のテロップとともにひたすら流すジャーナリズムってなんだろう。違和感はつのる。

画像4

トイレめっちゃきれいで、杉の木?のいいにおいがする。

「宝来館」

鵜住居スタジアムを後にして向かったのは、
鵜住居にある旅館「宝来館」。

画像5

画像は「緑トランス」さんから引用しました。

 宝来館の裏山は津波からの避難場所になったところ。従業員の伊藤さんが撮影した映像が有名です。

その裏山は現在こんな感じ。

画像6

写真は「あねっ子ブログ」さんから引用。

裏山を登っていくと立ち入り禁止の立て札とロープが。頂上まで登ることができません。

画像7


画像8

避難道もボロボロだった。残念な気持ちで下に降りると運よく従業員の方とお話しできました。

どうやら2019年の台風で土砂が流出したことが原因だそうです。(知らなかった)現在はクラウドファンディングで資金を集め、2020年度から復旧にあたるそう。

ぜひご協力を!

雑感

 学校での防災教育が叫ばれる。津波の記憶の継承が叫ばれる。

自主的な避難のほかに、ハザードマップなど災害が発生しやすい地域を明らかにするなど、地域の再分析が防災という観点から行われている。こうした動きはブラタモリに象徴されるような、「地域の隠れた魅力(危険)」を再認識する流れと軌を一にしている。スタジアムの裏山の土砂くずれ、宝来館の裏山の土砂流出をみると、本当に現代人は自分たちの住む土地についての知識を失っていることを痛感する。

 宝来館の裏山が津波から人々の命を救ったことは事実だ。しかし、それは宝来館の裏山があらゆる災害から身を守る最適地であることを意味しない。
おそらくだが、台風の旅に宝来館の裏山は少量だとしても土砂の流出がこれまでもあったのではないか?どうも津波の記憶に縛られ、防災を軽視した避難道の建設であるように思えてならない。
 もし、いま同規模津波が来たら、宝来館の裏山は避難所として機能するのか?いやしない。スタジアム横の避難道は機能するのか?いや、これもしない。

 復旧を進めるのは大事だ。しかし、今回救ってくれた避難場所が同様に機能するわけではないし、津波以外の災害に脆いという側面にも気を付けなければならない。

この雑感は外部からの突然の闖入者の意見であり、地元を軽視したものであるといわれても、反論できない。けど、津波の記憶の継承は何か別の可能性を否定しているように思えてならない。

うのすまい・トモス編へ

後半はうのすまい・トモス編。ぜひ、クリックを。



この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?