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「生徒と共に考える世界史」の小川幸司さんとの再会

1.ちょっとした思い出話から始めたいと思う。

北海道教育大学の4年に受けた高校地歴の必修科目は、現役の高校教員2人が前半7コマ後半7コマを担当して一つの講義とするものだった。

ある日の講義が終わり、残りの雑談タイム的な時間だったと思う。私も含め教室全体はおしゃべりでざわついていた気がする。たまたま先生がおすすめの本として「○○との対話」という本紹介していたのを聞き取った。○○の部分はみんなの声で聞こえなかった。

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ときはすぎ。ある大学院の受験にみごと失敗し、自分の研究テーマを再考した結果、歴史学から離れ、メディア・コミュニケーションの分野から攻めてみようと考え、法政大学大学院を受験することにし、院浪を決めた。

午前中を英語読解、午後を社会学やメディア論などの乱読という毎日を続ける中で、ふと、あのときの「○○との対話」という本を思い出した。

「との対話 高校 歴史」で検索したら、一番上にヒットした。

小川幸司氏の『世界史との対話』という本だった。

この本は私に様々なことを考えさせてくれた。各講義末の参考文献もできるだけ集め、できるだけ目を通した。浪人だったからこそあったあり余るはずの時間がどんどん足りなくなっていった。

2.環境のせいにして腐るな。

『世界史との対話』には印象的なエピソードがある。東京大学西洋史学科を卒業した筆者が、高校の教員となり、廊下のゴミ拾いをしながら大学同期との収入や社会的地位の違いが頭によぎる場面だ。筆者はそこで腐ることなく、「生徒とともに考える世界史」を長らく実践してきた。

自分も研究者くずれのような形で、今は中学の教員をしている。筆者と同じで廊下のゴミ拾いをしている。確かに日経新聞の記者や博士課程で査読論文を通している同期と比べて少し落ち込んだこともある。

社会科の教員として、教えるプロであるのは当たり前として、その先にわたしは小川幸司さんの言葉をもじった「生徒と共に考える社会科」の実践をひとまず置いている。

わかりやすい授業をするための、軽快なトークやはしょったストーリー仕立ての解説、色分けされた板書計画、ICT機器とシンキングツールを効果的に使った授業、10分でわかる江戸時代などなどを考えるのが全然面白くない。

けど教員として未熟な私がやることは、知った気になっている小川さん的な授業をやることではない。それはわかっている。

3.『図書』誌上で再会。小川さんからのメッセージ

社会人になってから岩波書店発行の雑誌『図書』を購読することにした。昨日10月号がポストに入っていたのでさっそく読んでみると、なんと小川幸司さんのリレー・エッセイ「ヴァルター・ベンヤミンーー危機のなかの世界史」が掲載されていた。

高校の世界史の授業でベンヤミンを読むという小川スタイルに驚愕しつつ、生徒が学んだつもりから学んでいるになるためには、「生徒と教師がともに考える世界史(社会科)」が大切だと再確認した。

4.おわりに

出会いは突然やってくる。その機会を生かせるかどうかは自分次第だ。

大学のときのあの先生のあの会話をきっかけに、私は教員生活のバイブルとも呼べる本に出会うことができた。

昨年度、教員のバトン企画が教育現場のブラック事情をさらけだすことになり、社会問題となった。教員のなり手が少なく、教育の質が低下するのではないかという懸念が広がった。毎日のように流れる教員の犯罪、不祥事のニュースが、社会から教員へのまなざしを厳しいものにしている。

けれども、教員をやっていて、生徒に社会科を教えることはすごく楽しいし、特別支援学級の担任という経験が、ここ1年半の私を強化している。最終的には教えるのではなく、共に考える社会科を目指し、これからも頑張ろうと思った。

#あの会話をきっかけに



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