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砂のお城と海

今朝は久しぶりに、休日だけど寝すぎずに早めに起床し、

昨日、満を持して買ってきた高級クリーミー生食パンと、

ヨーグルト〜苺ジャムを添えて〜

というちゃんとした朝ごはんを食べてみた。


ちゃんとした生活、めちゃめちゃ気分がいい。


窓もカーテンも開けて、

台風が過ぎ去った後の風が残る晴れた天気を満喫する。

テレビをつけず、ただ静かに聞こえる外の木と風の音。

時間を気にせず、自分のペースでご飯を食べてボーッとする。

そしてたまに、飼いハムスターの寝顔を見る。笑


これ以上の贅沢はないだろう。





ふと、映像が思い浮かんだ。

私は砂浜で砂のお城を作っていた。

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砂のお城の作り方はいろんな人から教えてもらってきた。

「一番大きくて立派な砂のお城を作れる人が偉い」

「砂のお城が立派であればあるほど幸せになれる」

という暗黙のルールの中で、

こんなお城が良いお城だ、とか

お城が作れない奴は無能な奴だ、とか言われながら

自分なりの正しい形のお城を作ろうと思ってきた。


たまに砂のお城が波にさらわれて崩れてしまうと、

波のせいだ、とか

自分がちゃんと波から城を守ってないからだ、とか

防波堤がちゃんとしていないからだ、とか

そんな風に思ってきた。



でも実は、海にただ浮かんで遊んでいる人や

波に乗って楽しんでいる人がいることも、横目で見ていた。


お城作りの先生に

「私も波に乗って遊んでみたい」って言ってみると、

「海にはサメがいて、食べられてしまうから行ってはいけない」

「それは城作りができない人のすることだ」なんて言われて、

考え方を矯正させられてきた。

何も知らない私は、きっとそうなんだろうなあ、って諦めていた。




そしてようやく、周りのお城と遜色ない

私の砂のお城が完成した。


何が正解なのかはわからないが、おそらく比較的立派な砂のお城だ。

きっと、まだまだ大きくすることや変更を加えることはできると思う。

それでも、ひとまず砂のお城を形にしてみて覚えた感想は


「一体、いつまでこれを続けたら幸せになれるんだろう」


「今度はこのお城を守って、ずっと波に怯え続けるの?」


「波を楽しんでいる人は悪くないのに、

城が波にさらわれるからって波乗り人を嫌って、

そして彼らの姿や景色がもっと良く見えるような

大きいお城を作るの?」


ある程度にお城は完成したはずなのに、達成感などはなく、

絶望のような、諦めのような感覚。



そこにたまたま、休憩のサーファーが横を通った。

「おっ、素敵なお城だね。頑張ったね。

実は私も昔は砂のお城を作っていたの。

でも、大波にお城がさらわれちゃった。

波からお城を守ろうとすることもできたけど、

あまりに大きい波だったから、もうそれができないことを悟って

砂のお城をそのままにした。

そして波は私の膝のあたりまで襲ってきた。

お城は一瞬で波に消えた。


でも、その前からなんとなく予感していたように、

波の感触はとても気持ちよくて、

守るべき砂のお城をもう持っていない私は、そのまま海に入ってみた。

すると周りには、波乗りを楽しむ人が思ったよりもたくさんいて、

私に波の乗り方を教えてくれた。

もちろん最初はうまくいかなくて溺れそうになったこともあるけど、

気づいたらできるようになってた。

そしていまこうして、波乗りを楽しんで過ごしているよ。」




ああ、やっぱりそうだ。


私はもう砂のお城はいらないと思った。

砂のお城は、それはそれで素敵だし飾っておきたいものだけど、

それに固執していることが辛い。

お城からただ海を眺めて、波乗り人を羨んでいるのが辛い。

海に怯えるのではなくて、海を感じて、波と戯れてみたい。

海で、波と遊んでいる人たちはきっと、

溺れかけたことはあるのかもしれない。

でも、波の読み方を覚えて、泳ぎ方を覚えて、乗り方を覚えたら、

あんなに楽しそうで、お城がなくても十分に幸せそう。





朝ごはんを食べながら、ただボーッとしていたら、

そんな感覚に襲われた。

波に乗りたい。





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