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ウェルスナビを退職してサウナ建築家(見習い)になった。


はじめに

創業期から約7年間勤めたウェルスナビを退職してサウナ建築家(見習い)になりました。

今は共同で設立したサウナの専門の設計事務所をやりながら、早稲田の建築の夜学に通いつつ、トラフ建築設計事務所というアトリエで建築の実務を勉強しています。

「見習い」というのはビジネスもサウナも建築もまだまだ学ぶことが多く、日々インプットとアウトプット繰り返しながら、生涯かけて学び続ける「見習い」でありたいという意味です。

この記事はいわゆる退職エントリーではなく、「ととのっていない」キャリアの点と点をつなぐことを目的とした、人生の定点観測です。

当時の学びとメモ書きのため、HOW?やWHY?などの詳細については別の記事で書く予定です。

振り返りを目的とした個人的なメモが誰かの役に立つかは分かりませんが、何か有益なものになれば良いなと思い、今後継続的に書いていく予定です。

このnoteのまとめ

  • 爆速で成長するベンチャーのHARD THINGSの中でサウナが必要だった

  • サウナを通じて建築家と出会い「SAUNaiDEA」を設立した

  • 建築とサウナを通じて「豊かさ」と「ものづくり」の認識が変わった

サウナと出会うまでのHARD THINGS

ウェルスナビではCEO直下の社長室長、コーポレート全般、CTO直下の何でも屋、金融機関とのアライアンスなど組織の状況と環境に応じてピボットしていました。

HARD THINGSに書かれているような困難が日々起こる中で、強烈な個性を持った優秀な仲間と泥臭く、粘り強く、1歩1歩前進しつつ過ごした貴重な7年間です。

DAY1から経営課題の1,000本ノック

CEOと経営課題に取り組む社長室長として入社しました。

この時期に学んだこと
・前提知識や正解がない課題との向き合い方
・社内外での信頼の獲得
・無駄なプライドはさっさと捨てる

入社初日から経営課題の1,000本ノックがスタートし、会社の課題全般にタックルしていました。毎日半日以上、CEOと1on1をしていた気がします。

ウェルスナビは経験豊富な人材が多く、年齢層も高い大人ベンチャーでした。また、金融というそもそも難易度が高い事業内容だったため、要求されているスキルと自身のスキルの間にギャップがあり、当初は社内の協力や信頼を得るのに時間がかかりました。

まずは会計士の専門性を軸足にしつつ、実際に手を動かして業務(財務・経理・法務・コンプラ・労務・その他何でも)を学び、会社には早く来て、終電後に歩いて帰り、土日もできるだけ顔を出すことで少しずつ信頼を獲得できてきた期間でした。

ごーるどまんという何でも屋

CTO(開発・事業責任者)直下の全社プロジェクトに飛び込む何でも屋の部署にいました。
新規事業の検討、システム開発・障害への対応、事業計画の策定、CS・オペレーションの業務改善、株主総会や取締役会の対応、投資家とのコミュニケーションに至るまで何でもやらせてもらいました。

この時期に学んだこと
・プロジェクトマネジメントの基礎
・コミュニケーションの質を上げること
・何があっても最後までやり切る力(
GRID

当時のCTOに「今日から君はごーるどまんだ!」と言われたその日から社内でごーるどまんというニックネームが普及しました。

ゴールドマン出身は怖くてエンジニアと仲良くなれないので、キン肉マンの「ごーるどまん」にしようという配慮だと後で聞きました。ちなみに私はキン肉マンを読んだことがありません。

この時期には経営合宿に参加したり、PMとして担当したプロジェクトが表彰されたり、社内でMVPを取ったり、困ったらごーるどまんに相談しようということも増え信頼関係の中で事業をつくっている実感がありました。

一方で担当する分野が広範かつ複雑になり、PMとしてのパフォーマンスにバラツキが出るようになりました。
幸い、超優秀なPMと働く機会があり、プロジェクトマネジメントの基礎を徹底的に学ぶことにより乗り切ることができました。

アライアンスという総合格闘技

いわゆる営業というよりは、金融法人向けのSIerに近かったと思います。
金商法等のレギュレーションや社内外のオペレーションの理解をふまえたプロジェクトマネジメントが求められていました。

当時はThe modelで説明されるようなインサイドセールス、営業、カスタマーサクセスの川上から川下まですべて担当し、最終的には分業する体制ができ、このタイミングで退職しています。

この時期に学んだこと
・徹底的なクライアント理解
・コミュニケーションの質と使い分け
・営業組織の作り方

営業だった父の影響もありますが、泥臭くて、いつも数字に追われているイメージがあり、もともと営業になりたくなくて、会計士になりましたが、実は営業が一番向いていたということに気が付きました。

また、こんなにエキサイティングでアートな職種はないということや、営業組織を作ることの難しさについてはここでは語りつくせないため、別の記事で書こうと思います。

そしてサウナと建築と出会った

最初に「ととのった」体験をしたのは赤坂のサウナ・リゾート・オリエンタルでした。激熱のアウフグースから8℃の水風呂に頭から浸かることで、頭が一気にリセットされたのを覚えています。

当時は朝から深夜まで土日も仕事をしていたので、頭のどこかが常に痺れていて、とにかく毎日疲れていました。

その頃からサウナに行くことになり、サウナに詳しい人、として徐々に認知されるようになりました。

そして、たまたまサウナを通じて建築士である島田、川田と知り合い、サウナ専門の設計を行うSAUNaiDEAを共同設立しました。今ではサウナ好きの多彩なメンバーが集まり7~10人のメンバーでプロジェクトを動かしています。

また、サウナの設計を通じて建築家と一緒に働くことが多くなり、次第に建築のことをもっと知りたいと思うようになりました。

早稲田芸術学校とアトリエでの仕事

卒業生からの紹介で母校である早稲田に夜学の建築学校があることを知り、入学を決めました。
手書きでの製図、模型製作、構造の勉強、スケッチを書いたりと、多様なバックグラウンドを持つ方々と共に、全力で建築学生としての学びを楽しんでいます。

また、入学と同時にトラフ建築設計事務所でインターンをさせてもらっています。グローバルな案件も多く「ものづくり」と「豊かさ」を肌で感じながら建築やプロダクトの作り方の実務を学んでいます。

勉強するだけでは気が付かなかった、建築の面白さ、模型を作ることの大切さ、実務の大変さを知ることができ、日々関わってくださる方々には感謝してもしきれないくらいです。

建築を学んで実現したいこと

デジタルとアナログの間にある豊かさを見つける

昨今は何でもデジタル化が進んでいて、この記事もChatGPT-4によるレビューや壁打ちをしながら書いています。

建築の仕事も多くがAIに代替されてしまうと言われていて、3Dプリンターで模型や住宅も作れる時代なので、確かにそうなのかもしれません。

一方で、模型や実際の現場を見て「人がどう感じるか」や「素材の手触り感」を感じ取り「それらを編集していく技術」は代替されないと考えています。

また、金融のような無形のサービスでも、人に説明をしてもらうことによって生まれるサービスへの安心感や信頼というものがあり、これも代替できない部分です。

このような考えの下、デジタルとアナログの間にある、デジタルには代替されないものを見つけるというのが今の目標です。そしてそれがきっと人々の豊かさにもつながるのではないかと考えています。

自分が豊かさを感じられるために

経済的な豊かさは実は豊かさの一部に過ぎず、本質的には老後2,000万円問題を解決するだけでは人は豊かになりません。

経済的な豊かさに加え、生涯通して健康であること、働き続けるために没頭できる何かを見つけること、人と繋がることで豊かさが実現できると考えています。

サウナや建築など常に新しい分野に没頭することにより自分自身が豊かさを感じ、ひいては世の中が豊かさを感じるための仕組みつくりが実現できれば良いと考えています。

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