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4.9 fri この桜がこれなんだって信じなよ

 溜まっている洗い物から目を逸らしながら、部屋の模様替えをした。食器棚を流しのすぐそばに持ってきたので、食器やラップを持って部屋をうろうろする手間が劇的に減った。嬉しい。食器棚は今、ワンルームのキッチンスペースとリビングスペースを間仕切るように鎮座している。「アイランドキッチンじゃん…」全然そうではないが、気分的にはそれくらいの革命だ。休みに何してるか聞かれたら、家のメンテですって答えるようにしようかな。少し気分が晴れやかである。

 友達に便乗するかたちで、また花見に出かけた。暖かくなり始めてから人と会う機会がすごく増えた、と思う。時勢的にはしゃいだ催しはないが、散歩したり、そういうの。大学時代の友達がこぞって近所に引っ越してきたので、その恩恵である。数人で連れ立って歩くのは本当に久しぶりで、数年前はこれが当たり前だったんだよな、と不思議な気持ちになった。今はとても新鮮に感じる。昨年の人との交流を思うと、自分のスタンダードは随分変わっていたんだな、とか。
 同じ町にたくさんの人がいる。誰といるかで見える町の色合いは変わり、その誰かの数だけ、私にとっての金沢がある。友人と歩く大通り、上司や先輩と歩く大通り、同じ通りでも肌触りが全く違うのだ。それらが交わるときがたまにあって、そんなとき「私は一体どこで生きてるんだ?」と宙に浮いたような感覚に陥る。
 この間行った桜の咲く公園、すごく気に入ったので、その時もよかったらと、友達に一緒に行ってもらった。同じ桜も同じ遊具も、この間とは表情が違う。その日はなんだかすごく広く感じた。数日前にも自分がそこにいたことを俯瞰するように想像して、ここは、と思う。ここはここだよ。

 自分はどこにいるのだ。実感を持って定められるのは自分だ。何にというわけではないが、流されていてはどこにもいられないのかもしれない。自らのものさしを問う機会が増えて、いつもそこには幸福という二文字が立ちはだかっている。

信じれば都 それほど脆かった ダイソン、このコードは吸っちゃだめ
(2020.6)

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