CASE002 不幸の手紙

町の文房具屋がどんどん少なくなってきているとよく聞く。

子どもにウケそうなかわいい物があるわけではなく、かといって大人にウケそうな機能的な物があるわけでもない。
昔ながらの鉛筆や消しゴム、ノートしか置いてないような町の文房具屋はこのご時世、少なくなっていくのは当たり前。うちだってそう、いつ無くなってもおかしくない。
ただうちは、この町で唯一の文房具屋。先祖代々続いてきたこの店は、周りの人たちのおかげもあって何とかやっていけている。私は幸せだ。妻と子供、何よりたくさんの文房具に囲まれて。親父が残していったこのお店が、大好きだった。


ある日一人の女の子が店に来て、便箋を買っていった。
メールやLINEのこの時代に珍しい。ファッションの流行は繰り返す、なんてよく聞くけど、誰かがまた、手紙を流行らせようとしているのか。

するとある日、こないだとは別の女の子が一人、便箋を買っていった。次の日も、そしてまた次の日も、子どもが便箋を買っていく。

不思議に思い、ある日便箋を買った子どもに聞いてみた。

「最近便箋買ってく子多いんだけど、学校とかで流行ってるの?」

「……おじさん、不幸の手紙って知ってる?」


不幸の手紙、懐かしい響きだな。
一週間以内に同じ手紙を誰か別の人に出さないと、不幸になるとかならないとか。まだあったんだ、こういうやつ。しかも律儀に手紙でやってるなんて。いつの時代も、子どもはこういうやつを信じてしまうんだなあと思うと、微笑ましくなった。


それからも、毎日のように子どもが便箋を買っていく。
物は試しに、いつもは店に置かないような文房具を並べてみた。いかにも子どもが好きそうな、キャラクターの文房具。今親父が生きていたら、こんなもんは店に置くなと言いそうな、色のうるさい文房具。便箋を買うついでにと、軽い気持ちで店に並べてみた。


飛ぶように売れていった。
何より、便箋を買いにくる子どもが日ごとに増えていったのもある。ある時は、開店前に大勢の子どもたちで行列を成していたくらいだ。
子どもが増えればまた、一緒に来る親も増える。今度はその親たちにウケそうな、機能的な文房具を置いてみた。

どちらも飛ぶように売れていく。まさかこんな日が来るなんて。町の文房具屋が、こんなにも賑わっているなんて。
店の奥に閉まっていた大量の便箋も、どんどん無くなっていった。何とかやっていけているが、何不自由なく暮らしていけているになった。
ただ、親父が今この店を見たら、がっかりするに違いない。先祖代々続けてきた、きっと親父が残していきたかったあの文房具屋は、もう無くなってしまったのだから。


ある日娘が泣きながら学校から帰ってきた。聞けば娘の元にも不幸の手紙が回ってきたという。
何ともタイミングの悪い娘だ。ついさっき、店にあった最後の便箋を売ってしまったのだから。一週間もすれば店に入ってくると伝えると、それではどうも遅いらしい。私は言った。

「そんなもん信じてどうすんだ」と。

そしてまた、何故娘は一週間も待てないのか、私にはさっぱり分からなかった。



あれから半年が経った。
いつしか子どもたちは店に来なくなり、妻は娘を連れて出て行った。それでも、私は文房具が大好きだ。
大量に仕入れ、売れ残った様々な文房具たちに囲まれて、私は思う。



幸せだなあ。


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