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カメコ自己批評#4「アイドルの光と影」
アイドルはかわいい。被写体として美しい。商業アイドルなら尚更撮られることに慣れている。従ってとにかく無心でもシャッターを切っていればある程度美しいものになるだろう。
趣味なのでここで満足しても誰も何も文句を言う筋合いはないのだが、自分はどうだろうか。せっかくならもう少し極めてみたいと思った。少なからず作風を持つことを大事にしたいという話だ。
アイドル現場のライブフォトは非常に限られた制約の中で撮ることが多い。時間的制約や環境的制約など様々で、自身のスペックと掛け算して最高打点を叩き出すやり方が主流となっている。(ここで機材の話をするつもりはない)
環境面やスペックを一定クリアして、無心でもシャッターを切っていれば、それなりによく撮れている写真にはなってしまう。商業アイドルにおいては被写体が素晴らしいからだ。ただ、よく撮れている写真と面白い写真は同一か?という疑問が湧く。
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ライブフォトに嵌り「面白い写真」とは何かについてちゃんと向き合っていきたいと思うようになった。制約が多い、無心でも撮れる環境下で、自分の作風やテーマを持たせることを意識するようにしている。
こうしてたくさん撮るうちに、「アイドルの光と影」が見える瞬間が自分にとって面白いものだと思った。
アイドル(idol)とは虚像だ。本当は実在していて、いち市民としてのペルソナが存在するはずなのに、それを纏うことを拒否して我々に夢や憧れを与えてくれる。彼女らは呼吸をして、血が通っていて、生きているはずなのに、私たちはその実像を掴むことはできない。そんなアイドルの光と影のようなものが写真に残せたら面白いと思う。
上記の石田千穂さんについて、大げさなくらい背後のライトが当たっている。何なら現像の際にハイライトを少し足している。その結果、足元に影が伸びている。この1枚を見た時、自分のやりたいもの、見たいものが何か気づいたような気がして、ハッとさせられた。
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アイドルそのものが影になることもある。また、背後のライトが崇拝としてのアイドルを強調している。西洋は古くから蝋燭は信仰の光としての象徴というが、同時に信仰もいつかは終わるという儚さのシンボルでもあるらしい。ずっと踊らされていたいものだが、いつかは彼女たちもペルソナを再び身に纏う時が来るのだろうか。
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写真を見返している時、冨田菜々風さんの鬼気迫る表現力には震える瞬間がある。2枚目からはある種の怒りのような感情が伝わってくる。この場合、被写体そのものに影が出来て、境界線のように見えてくる。
やりたいテーマを意識して掴めるようになると、現像の方向性も定まるようになり、ライブ中の創意工夫も楽しくなる。せっかくライブに来た以上、ただシャッターを押すだけという楽しみ方だけでなく、自分らしさを残しておきたいな、と思った。
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