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蝶の羽ばたき 勇気の連鎖

世界を敵に回しても信念を貫いたアリの勇気は、世界を変えた。
勇気の連鎖の物語。

先日2022年4月4日にNHKで、映像の世紀バタフライエフェクト
[新]「モハメド・アリ 勇気の連鎖」の放送があった。
<https://www.nhk.jp/p/ts/9N81M92LXV/episode/te/2LQ7JGJ6M2/>

1954年、12歳だったアリが愛用の自転車を盗まれたことがすべての始まりだった。怒りに燃えたアリはボクサーを志し、無敵のチャンピオンとなる。その言動は、世界を大きく揺さぶった。ベトナム反戦運動を燃え上がらせ、オリンピックを揺るがす表彰台での黒人差別への抗議をもたらし、史上初の黒人大統領誕生へとつながる。

1964年、アリはボクシング世界ヘビー級チャンピオンになった。当時は黒人差別が当たり前のように行われ、チャンピンになったアリですら入店を断られることがあるような状況であった。そしてアリはベトナム戦争への徴兵を拒否し反戦の声を上げる。アリはベトナム戦争で白人上官に命令され前線で死んでいく多くの黒人たちがいる。何の罪もないベトナム人をなぜ殺さなければならないのか。アリが声を上げたとき、アメリカ国民のベトナム戦争に対する支持はピークを迎え50%を超えていた。徴兵拒否という行為によってアリは、瞬く間にアメリカで最も嫌われている有名人へと仕立てられた。徴兵を回避した罪で有罪判決を受けた後、州のボクシング・ライセンスも剥奪された。

しかしアリは「兵役を受け入れろ」という国民の圧力に決して屈しなかった。アリはキング牧師に「戦争に反対してくれ」と懇願している。そして次第に国民はアリに味方するようになっていく。その声の波紋は広がっていく。

1968年メキシコシティオリンピックにおいてアフリカ系アメリカ人選手のトミー・スミス氏とジョン・カーロス氏は表彰台で拳を高く掲げ黒人差別に抗議する示威行為(ブラック・パワー・サリュート)を実施した。2位の表彰台に立ったオーストラリア代表で白人のピーター・ノーマン氏もそれに協力し、「人権を求めるオリンピック・プロジェクト」(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)のバッジを着けて表彰台に立った。

その後表彰台に立った3人はメディアや国民から公然と非難され、スポーツ界から事実上追放、選手生命は絶たれることになる。

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「刑務所に行くのか、それとも軍隊に行くのか。いや違う。正義を貫くんだ。」
徴兵を拒否したアリは1970年にタイトルを剥奪され、3年7ヶ月のブランクを余儀なくされるが、最高裁で無罪が認められリングに復帰する。後に「キンシャサの奇跡」と言われるようになる世界ヘビー級王者との試合で、ブランクを乗り越えアリが劇的な逆転KO勝利をおさめ、会場は熱狂的な歓声に包まれる。

その試合を見ていた少年がいた。その少年は後に黒人初のアメリカ合衆国大統領になる。バラク・オバマ大統領だ。ホワイトハウス内の個人の書斎にはその試合のアリの写真と、アリから送られたボクシング・グローブが飾られていた。その写真とグローブに何度となく勇気づけられたという。

2016年オバマ大統領は、2016年リオデジャネイロオリンピックおよびパラリンピックにおけるアメリカ代表チームをホワイトハウスに招聘し、その参加と成功を称える会を開催。そして同時に、1968年メキシコシティ大会で黒人差別に対しての抗議“ブラック・パワー・サリュート(Black Power Salute)”を行ったトミー・スミス氏とジョン・カーロス氏の二人も招き、敬意を示しました。

一人ひとりの蝶の羽ばたきが、勇気の連鎖となり世界を変える。
今の私たちに羽ばたく勇気を与えてくれています。

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