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性被害のこと〜加害者のこと〜

私の記憶が捻じ曲がっているかもしれません。
記憶がはっきりしない部分がありますし、
ここに書くことがすべてではありません。

ですが、これは確かに私に起こった出来事で、
今日時点での私の記憶と解釈です。

気分が悪くなりそうな方は、読まないでください。読み進められる方は、ご自身の体調をいちばんにして読み進めてください。



加害者は、研究室の担当教授だった。
なので私は、加害者を先生と呼んでいた。

あれから、私はどういった場面であっても、先生という言葉を避けるようになった。ここでは、加害者のことは"S"と表すことにする。

私は、指導者として、Sを尊敬していた。
ただそれは尊敬であり、異性としての好意では決してない。私は、教え子と先生の信頼関係があるものだと思っていた。

それが裏切られたのは、卒業後のことである。
大学生のうちに手を出せば、大学に居られなくなると思ったからなのだろうか、卒業してしまえば個人対個人になるからトラブルにもならないと、計画的にそうしたことなのかも知れない。

当時、まだ社会を知らないただの学生であった私には、ものごとをそれらしく語るSがすごい人のように思えていた。

大学受験を、希望する進路に進めなかった私は、
劣等感を抱きながら大学に進学した。実家が裕福ではなく、費用面から浪人はできなかった。なので、入った大学で一生懸命頑張ろうと思っていた。

学生時代に頑張った全てのことが、
馬鹿だったなって思う。
馬鹿だったなぁ…

Sの授業は衝撃的だった。

授業中スマホを触れば怒鳴りつけ、気に食わない学生の学生証を奪い取った。気に入らないことがあれば、時間や場所なんて一切気にせず延々怒鳴りつけた。ときには、分厚い専門書を床に投げつけることもあった。

「だから、お前らは馬鹿なんだ」
「せめて大学ぐらい勉強しろ」
「着いてくれば、一生懸命指導してやる。」
「ここには、俺以上にまとまな人間はいない。」

大学受験を失敗し、なにか頑張らなければと思っていた私は、Sの授業を頑張ってついていくことにした。

最後の授業の日、ひとりだけ呼びつけられた。
「手伝いをしてほしい。」とのことだった。

そして私はSの研究室で、雑用をするようになった(給与は大学から支給された)。そこから月に何度か呼び出されては、掃除などをしていた。

思えばこれもおかしかった。自分の研究室の学生や院生ならまだしも、まだ自分の研究室に所属していない学生にそんなことさせるなんて、ない話だった。

「このことは絶対に口外しないでください。」

なんてことを言われた。Sは度々、なにかしたら訴えるぞと脅してきたし、ものすごい剣幕で怒鳴りつけるから、怖いイメージが出来上がっていたので、口外するなと言われたからには誰にも話は出来なかった。

まだ研究室に所属はしないものの、あたり前に自分の研究室に所属する流れであったし、当時はすごい人なんだと思っていたので、私はSの研究室に所属を希望した。

研究室に配属されてから、Sの態度はさらに横暴になっていった。研究生は、Sの授業にはなにがあっても参加せねばならず、体調不良など認められなかった。また、授業以外に飲み会などもあったが、それも参加は必須だった。

もし行かないようなことがあれば、
「なんて失礼なやつなんだ」
と呼び付けて怒鳴ることもあった。

「だから、お前らは馬鹿なんだ」
「だから、女(男)は駄目なんだ」
「お前ら全員、死ね」
「殺すぞ」

もし、気に食わないことがあれば、延々怒鳴られるし、個人の人格や家族のことまでも否定される。合宿では、一升瓶を振り翳し学生を殴る真似をして怯えさせる。気に入らないやつの単位は出さないとのような発言もあったと記憶している。

それでも頑張ってきたのは、
私自身の劣等感と、
Sへの尊敬や恩を感じていたからだった。

そんな学生時代で私は、
Sの言うことは聞かなければならない
呼びつけられたら行かなければならない
そんな風に思うようになっていった。

Sの開催する飲み会には、度々卒業生が招集されていた。実際、Sへの対応など、先輩に沢山相談した。実際にそれで助かったこともあった。

研究室に顔を出す卒業生やSの仕事仲間からは、「Sはすごいからね、着いていくんだよ。」「駄目なひとは大体途中で辞めてっちゃうけど、最後まで頑張るんだよ。」などと何度も何度も言い聞かせられていた。

卒業しても呼ばれたら行かないといけないんだなと思ったし、後輩のために伝えられることが伝えられるなら参加したほうがいいと思った。

被害に遭ったのは、卒業してから呼ばれた飲み会での出来事だった。

馬鹿だったなぁ、今になってはそう思う。

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