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宗教 神話 科学 ①

宗教と化学、そして神話について考えるために、まずはこの物語を読んでくれないか?

例えばきみが原初の村の住民で、鬱蒼とした森にかまえた集落に暮らしているとしよう。

幸いこの村には水源があり、湖畔には豊かな果物のなる木があるので、飲食には困らない。肉が必要なときは森に入って狩りをすることもあるけど、それでも、日暮れまでには帰ってこなければ危険だ。普段の行動はその範囲に限られる。

きみはずいぶん若い頃に一度、獲物を追ううちに遠くの地まで迷い込んだ時、自分の村の湖よりもっと広くて、対岸が見えないほど大きな水たまりを見たことがあった。老人はそれを「海」と呼ぶ。

勇敢で体力に自信のある若者の中には、たまに何かを探して海へ繰り出していく者もいるけれど、その旅から帰ってきた者はいない。どうやらきみは、この村の生活と掟とを乱さず生きている以上、この村から離れ、海の向こうに何があるかを知ることはなさそうだ。

このような状況を前に、きみはそれでも海へ漕ぎ出すだろうか?もしそうであれば、きみは「科学者」だ。

あるいは、その場にとどまって「海の先は崖になっていて何もない。ただ水が延々と落ち続けているだけだ。村の四方、全部そうだ。この土地は巨大なアルマジロの背の上にあって、世界にはここ以外何もない」という神話を信じ続けるだろうか?だとしたらきみは「信者」だ。

ぼくは、科学と宗教というものの違いの本質を、このように表したいんだ。きみが知らない、理解できない何かに対して、それを理解しようと努めるのか、理解できないことを受け入れるのか。そんな違いだ。

科学者から見れば、信者たちは怠慢で愚かなんだ。その目で確かめることもせず、誰が作ったのかも忘れ去られたようなアルマジロの神話を信じきっている。

でも信徒から見れば、科学者たちは勇敢で愚かだ。海の向こうに危険が満ちていることは、海の先には何もないことは、神話が語っているじゃないか。ぼくたちは小さなころからその神話に親しみ、暗唱だってできるじゃないか。古い言い伝えは、きっと間違っちゃいない。それは偉大な祖先たちが残してくれた、何よりの遺産だから。

さて、科学者と信者をこのように区別するとき、ぼくたちは一体、どちらでいるべきなんだろうか?

Henri Julien Félix Rousseau 《Le Rêve》 1910 MoMA

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