見えない未来に向かって。
1人でも大丈夫。
そう言い聞かせていたら、本当にそんな気持ちになってくる。
付け加えて、「いつか、孤独とお別れをする時がきっと来る。」とも。
未来のことは見えない聞こえない、何も分からない。
でも、その、見えないものに向かって、歩いていくこと。
それが出来れば十分だって。
ただ、孤独は、感じようと思って感じているわけではなく、いつの間にか勝手に、脳のどこかが感じているもの。
意識して上手くいくものでもない。
だから、もし孤独を感じてしまった時、どこかで埋め合わせをしないといけない。
今日は、冒頭のように「自分は1人で大丈夫なんだよ。」って言い聞かせたんだけど、それで上手くいったのは、何かきっかけがあったように思う。
それで、後から、何が要因になって孤独感に働きかけてくれたのだろうって考えた。
私の場合は、大勢の前でのプレゼン(案件の説明係みたいなこと)をしたことが、自分にとっての孤独感を薄れさせてくれるきっかけであることに気付いた。
で、なんで大勢の人数の前でのプレゼンが自分に合っていたかって、疑問になると思う。
正直、私も不思議に思っているけど、少人数の前に出て喋る時と大勢の前に出て喋る時と、脳の感じ方が違っている気がする。
少人数だと、1人1人の顔や仕草が全部、視界の隅っこの方で動いている。
それで、そっちが気になり始めたら、自分の話し方とか話す内容をすっ飛ばしてしまう脳なのだ。
いわゆる”頭真っ白”状態。
でも、それが大人数になったとたん、いわゆる”みんなかぼちゃ”状態になって、言っちゃ悪いけど、「人間なんだけど人間じゃないものたちに向かって話している」という状態になる。
私の場合、割と瞬時に脳がその感覚を持ってくるから、大人数を認識した瞬間、”どうにでもなれ感”が脳内で増して、どうにでもなってしまうようなプレゼンが出来たのだと思った。
小さい頃から、「全然緊張しない子だね」って言われてた。
それは、音大に入って、たくさんの人の前で演奏するようになる時までずっと。
でもやっぱり、自分で自分を見直した時に、全く緊張していないわけではなかったと。
何に緊張していたかって。それは自分自身のプレッシャーに緊張していたのだと思った。
目の前にいる人ではなく、自分自身に自己暗示をかけていた。
「みんなの視線がこちらにある、みんなの耳がこちらに傾く」ということを。
何が言いたいかって。
自分に語りかけることが、良い方向に傾くことも、悪い方向に傾くこともあるという話。
「孤独感はいずれ、薄まっていくよ」
「大人数が見てるけども、みんな知らない人だし、これから深く関わることもないような人たちばかりだよ」
「人間、友達がいない期間が合っても、生きていけるもんだし、何かと楽しい時間もあるよ」
まだまだ言いたいことはある。
そうやって明日も明後日も生きて、見えない未来に向かって歩いていくしかない。
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